昨日TVでベジャール振付の『春の祭典』を観るともなく観ていて、もうじきこのバレエの初演から百周年になる・・・と家人に説明しながらハタと気づいた。
1913年巴里のバレエ・リュス公演ではもうひとつ、ドビュッシーの書き下ろした新曲にニジンスキーが振付・主演した『
遊戯 Jeux』が初演されていて、こちらも劣らず重大な事件だった──とそこまで考えて、しまった、その初演日は5月15日だったのだと遅れ馳せながら気づく。
ディアギレフにとって、当代屈指の天才クロード・ドビュッシーとの協働作業は大いなる夢の実現にして飽くなき野望の表明だった。これは前年のレイナルド・アーン(『青い神』)、モーリス・ラヴェル(『ダフニスとクロエ』)に続く仏蘭西作曲家への新作委嘱であるとともに、バレエ・リュスの国際化、あるいは「無国籍化」に拍車をかける冒険的な企てでもあった。やはり前年、彼は寵愛するニジンスキーの振付・主演でドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」のバレエ化を敢行し、初演当夜には騒然たるスキャンダルを巻き起こしていたが、それはあくまでもドビュッシーの旧作であり、今回の挑戦のほうが遙かに大胆で意義深い。
しかもニジンスキーが倫敦で着想したというバレエのプロットが前代未聞である。
場面は夕暮時の庭園。テニスボールが行方不明になり、一人の若者と二人の娘が探している。大きな電燈が人工照明を投げかけ、その幻想的な光に誘われて、彼らは子供じみた遊戯を思いつく。三人はかくれんぼをし、鬼ごっこし、諍いあったり、訳もなく不機嫌になったりする。夜は暖かく、空は仄かな薄明に包まれる。彼らは互いに抱きあう。だが何者かがわざとテニスボールを投げ入れたため魔法は解け、慌てふためいた若者と娘たちは庭園の夜のしじまに姿を消す。
この粗筋から察せられるように、『遊戯』はテニスコート脇の庭園を舞台とした純然たる同時代ドラマである(電気照明、テニス)。異国情緒や古代趣味を強力な武器に、「今、ここ」ではない遙かな異界へと観客を一挙に拉し去るのを常套手段としたバレエ・リュスが、一転して現代ヨーロッパの都市風俗をバレエに仕立てたのだから、これは劃期的な事件と呼んでも差し支えあるまい。
上に引用したプロットでは暈されているが、ニジンスキー(と舞台美術を手掛けたレオン・バクスト)がこのバレエの舞台に想定したのは英京ブルームズベリー界隈の公園
ベッドフォード・スクエアだったらしいことは研究家リチャード・バックルが夙に指摘していた。初演から一年前の1912年夏、彼らはこの公園でテニスを眺めながら「素晴らしい舞台装置だ!」と叫んだというのである(五年前と二年半前に現地を訪れた際の旅日記 [
→ここ、
→ここ] に、そのあたりの事情を少し書いたことがある)。因みにバクストによる舞台装置の粗案(
→これ)は、昨年夏に東京・京橋で催されたドビュッシー展にも出品されたから、ご記憶の方もおられよう。
ところがディアギレフの思惑は外れ、初演時における『遊戯』の評判はパッとしなかった。捉えどころのないドビュッシーの楽曲は理解されず、バレエの常道から外れた器械体操じみたニジンスキーの振付は観客を大いに戸惑わせた。前年の『牧神の午後』のような称賛と罵倒の相半ばするスキャンダラスな反響(それこそがディアギレフの望んだものだ)は巻き起こらなかった。ドビュッシー自身もニジンスキーの振付にひどく立腹し、自分の音楽を裏切るものだと胸中を明かした。
とはいうものの、残された数枚のスチル写真(舞台そのものではなくスタジオ撮影か)はこのバレエの披瀝した未曾有の近代性を彷彿とさせる。
テニス・ラケットを手にしたニジンスキー
→これ
同様のポーズだが、ラケットを持たないニジンスキー
→これ
三人のポーズ(左からカルサーヴィナ、ショラー、ニジンスキー)
→これ
抱きあう三人、 ラケットを抱えたニジンスキー、横並びの三人
→これ
一年前の巴里公演で印度の魔神(
→これ、
→これ)やら希臘の牧羊神(
→これ、
→これ)に扮したニジンスキーとはなんと際立った違いようだろう。
試みに初演当時の『コメディア・イリュストレComœdia illustré』誌を繙くと、巴里でこのバレエをつぶさに実見した女性画家ヴァランティーヌ・ユゴーのパステル画が掲載されていて(
→これ、
→これ、
→これ)、 ニジンスキーとバクストの創り上げた舞台がいかなるものだったかを視覚的に(ある程度)想像させる。
さしたる反響もないまま不発に終わった『遊戯』初演は、きっかり二週間後のスキャンダラスな『春の祭典』初演の大騒動にかき消され、その蔭で忘れ去られる運命にあった。この年、巴里で四回、倫敦で五回だけ舞台にかけられた直後、ニジンスキーの退団(バレエ団の南米興行中ディアギレフに無断で結婚し、その逆鱗に触れて追放された)と共に『遊戯』はバレエ・リュスのレパートリーから外され、二度と顧みられることがなかった。文字どおり封印されてしまったのだ。
その後『遊戯』は1920年バレエ・シュエドワ(スウェーデン・バレエ団)が復活上演(
→舞台装置:ボナール、
→主役:ジャン・ボルラン)したものの、この試みもごく短命に終わり振付も伝わらない。つくづく不遇なバレエだったのである。
不遇といえばドビュッシーの音楽も同様の運命を辿る。
(5月27日につづく)