まだ下のエントリーが未完のままなので心苦しいのだが、仕上げはいずれ後日に期すとして、今日はどうしても書かねばならぬ記事がある。
今は昔、1968年5月3日のことである。高校に入ったばかりの小生は、近所に住む友人の上野君からチケットを貰い、初めて生の演奏会に出向いた。会場は新宿の東京厚生年金会館大ホール。今ではもはや存在しない建物だ。
日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会
イシュトヴァーン・ケルテース指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
ピアノ/ロベール・カサドシュ
(曲目)
コダーイ: 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲 第五番「皇帝」
ドヴォジャーク: 交響曲 第九番「新世界から」
四十五年も前の出来事なので演奏の委細はもう思い出せないが、上に記した曲目と演奏家については間違いない。ハンガリー出身のケルテース(当時の表記は
イシュトヴァン・ケルテス)は三十代の若さでロンドン交響楽団を委ねられた俊才、独奏者カサドシュはラヴェルとも親交の深かったフランスの長老ピアニスト。生まれて初めて生のオーケストラを聴く田舎者の高校生には贅沢すぎるほどに目醒ましい陣容だ。この夢うつつの一夜が小生にとって運命的な体験となる。
このコンサートについては何年か前、乏しい記憶を必死に振り絞って回顧した。
→音楽生活四十年
→緊張と期待で心臓が早鐘のよう
→運命を決めた「ハックショ~ン」
だから今更もう贅言は繰り返すまい。何度も回想する度毎に記憶が「上書き保存」され、どこまでが真正な思い出なのか自信がもてなくなってしまったが、それでも「ハーリ・ヤーノシュ」冒頭で管弦楽が斉奏する盛大な「クシャミ」と、「新世界」の末尾で長く余韻を残して響く和音とが、半世紀近く経った今なお耳の奥で鳴り続けているような気がする。空耳といえばまあそのとおりなのだが。
間近に目にしたケルテースは髪は黒々、指揮姿もきびきびと覇気に満ちて若々しかった。血気盛んな三十八歳だったのだから蓋し当然だろう。
堅実な彼はこのあとすぐロンドン響の音楽監督の地位を辞し、ケルン歌劇場の総監督に就任した。一見地味な職務のようだが、クレンペラー、カラヤン、ショルティの例を引くまでもなく名門オペラハウスで職責を果たすのは欧州の指揮者が地歩を固めるうえで王道であることは言うまでもない。その後もケルンを拠点に欧米各地を忙しく歴訪しながら真の巨匠への道を着々と歩みつつあった。
五年後、順風満帆だったケルテースの身に思わぬ惨事が見舞う。
イスラエル・フィルに客演し、国内各地を楽旅する多忙な日程のさなか、訪問先テル=アヴィヴの海岸でヴァカンス中、大波に呑まれ溺死してしまったのだ。四十三歳の若さだった。1973年4月16日、きっかり今日から四十年前のことである。
突然の訃報はわが国にもすぐ届き、あまりの悲運に言葉を失った。
このときケルテースの傍らにはたまたまバス歌手の岡村喬生が居合わせて一部始終を目撃した(
→ヴァカンス時の写真)。その悲痛な談話も伝えられたから、一寸先は闇だという人生の不条理に思いを巡らせた。
生きていれば必ずや大成して時代を劃する巨匠に成長したに違いない。一歳下のカルロス・クライバーの好敵手になっていた筈である。すべての夢と希望は一瞬にして残酷な荒波に砕かれてしまったのだ。
こういう日だからこそ、取って置きの一枚を。
"The IPO Heritage Series: István Kertész"
ハイドン: ネルソン・ミサ*
マーラー: 子供の死の歌**
ソプラノ/ルチア・ポップ、アルト/イルゼ・グラマツキー、
テノール/ミッシャ・ライツィン、バス/岡村喬生、
テル=アヴィヴ・フィルハーモニー合唱団*
コントラルト/モーリーン・フォレスター**
イシュトヴァーン・ケルテース指揮
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
1973年4月*、1971年4月**、テル=アヴィヴ、マン楽堂(実況)
Helicon 02-9652 (2011)