ブログから遠ざかっていた空白の四か月間、最初は何も手につかぬ惨憺たる状態だったが、その後は幾分か平静さを取り戻し、音楽を聴く日常が僅かながら回復してきた。手始めはBBC Radio3やFrance Musique といったウェブ・ラジオをなんとなく流し聴きし、年が改まった前後からは手許のCDにじっくり耳を傾ける精神的な余裕が生まれてきた。どんな窮状にあっても音楽は親しく語りかけてくれる。心の友なのだとつくづく実感した。
このところ何故かぞっこん惚れ込んでしまい、繰り返しターンテーブルに載せている鍾愛のアルバムといえば何を措いてもまずこの盤だ。
"Alexandre Tharaud: Le Bœuf sur le Toit -- Swinging Paris"
01. クレマン・ドゥーセ: ショピナータ Chopinata
02. ジョージ・ガーシュウィン: 私の彼氏 The Man I Love
03. ウォルター・ドナルドソン: 可愛い眼 Yes Sir, That's My Baby
04. ジョージ・ガーシュウィン: もう一度して Do It Again
05. クレマン・ドゥーセ: アンガリア Hungaria
06. コール・ポーター: あれしよう Let's Do It
07. ナシオ・ハーブ・ブラウン: 人形の踊り Doll Dance
08. モーリス・イヴァン: どうすればよかったのかしら J'ai pas su y faire
09. アルフレッド・ブライアン(ヴィエネール&ドゥーセ編): 青い河 Blue River
10. ジョージ・ガーシュウィン(ヴィエネール&ドゥーセ編):
なぜ君を愛す? Why Do I Love You?
11. エメリヒ・カールマン(ヴィエネール&ドゥーセ編):
小粋でスローなフォックスをメアリーと A Little Slow Fox with Mary
12. ジュゼッペ・ミラーノ(ヴィエネール&ドゥーセ編):
コヴァンキーニョ Covanquinho (Covanduihno)
13. ポール・セグニッツ(ドゥーセ編): ポピー・コック Poppy Cock
14. ジャン・ヴィエネール: ブルーズ Blues
15. クレマン・ドゥーセ: イゾルディーナ Isoldina
16. ジャン・ヴィエネール: 歌うブルーズ Blues chanté
17. ハワード・サイモン&ポール・アッシュ:
女の子をモノにしよう Gonna Get a Girl
18. ジョルジュ・ヴァン・パリス&フィリップ・パレス: アンリ、なぜ女嫌いなの?
Henri, pourquoi n'aimes-tu pas les femmes?
19. ダリユス・ミヨー: フラテッリーニ一座のタンゴ Tango des Fratellini
20. モーリス・ラヴェル(ブランガ編): 五時のフォックストロット Five o'clock
21. ダリユス・ミヨー: 柔らかキャラメル Caramel mou
22. ジャン・ヴィエネール: ハーレム Haarlem
23. モウ・ジャッフェ&ナット・ボンクス: カリージアト Collegiate
24. ジャン・ヴィエネール: ジョージアのブルーズ Georgian Blues
25. W・H・ハンディ(ヴィエネール編):
セントルイス・ブルーズ Saint Louis Blues
26. ジャン・ヴィエネール: クレマンのチャールストン Clement's Charleston
ピアノ/アレクサンドル・タロー +フランク・ブレイリー(9, 10, 11, 12)
歌唱/マデリン・ペルー(06)、ジュリエット(08)、ナタリー・ドセ(16)、ベナバール(17)、ギヨーム・ガリエンヌ&ザ・ヴァージン・ヴォイシズ(18)、ジャン・ドレクリューズ(21)
プレイエル・クラヴサン/アレクサンドル・タロー(25)
バンジョー/ダヴィッド・シュヴァリエ(17, 23)
打楽器/フロラン・ジョドレ(13, 21)
2012年1月2~8日、巴里、佛蘭西國立音響音樂硏究所
2012年3月5日、巴里、音樂都市
2012年4月30日、巴里、コロンヌ樂堂
Virgin 440737 (2012)
新譜に疎い小生は昨秋こんな魅惑的なアルバムが出たことに全く気づかなかったのだが、たまたまFrance Musique の番組で、クレマン・ドゥーセの機知に富むチャーミングなピアノ曲「
イゾルディーナ」がかかったのを耳にして思わず快哉を叫んだのである。これはなんという面白さだ!と。
この曲を作曲者ドゥーセ自身が奏した戦前の録音がある。幸いyoutubeで聴けるので、論より証拠、たった二分ほどの小品なのでお試しあれ(
→ここ)。
ほおらね、笑っちゃうでしょ? ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の名場面「愛の死」を巧妙に換骨奪胎し、軽妙洒脱なラグタイムに作り変えた代物だ。深刻ぶった大仰なドラマをダンサブルな魅惑のピアノ曲に変容させる手口はまさに天才的。しかも単なるパロディやパスティーシュに留まらぬ音楽的な編曲なのである。
ワーグナーと米国伝来のダンス・ミュージックの結合混淆といえば、早くも1908年ドビュッシーがピアノ曲集「子供の領分」で果敢に試みていた。終曲「ゴリウォッグのケークウォーク」で、ミュージック・ホールのバンド演奏(による自作パロディ)にワーグナーの『トリスタン』和音をこっそり忍ばせたのである。その顰みに倣ってだろう、ドゥーセは同じ『トリスタン』の主題を巧みにアレンジして抱腹絶倒のラグタイム「イゾルディーナ」を仕立て上げた。作曲はドビュッシーの先駆的な試みからきっかり二十年後の1928年。時まさに「狂騒の20年代 Rolling Twenties」の真只中、ヨーロッパでは最尖端のジャズ(当時の「ジャズ」すなわちフォックス・トロット、チャールストンなどの総称)が一世を風靡していた。
この度のアレクサンドル・タローの「イゾルディーナ」録音は往時のドゥーセの演奏スタイルを細部に至るまで忠実に受け継ぎつつ、瀟洒と洗練の度合いを更に高めた名演である。その出来映えに舌を巻くとともに、これを収めた最新アルバム「
屋根の上の牡牛──スウィンギング・パリ」を遅れ馳せながら入手した次第。
「狂騒の20年代」を仏蘭西語では Les années folles(狂乱の年々)と称する。第一次大戦終了後の巴里で絢爛と花開いた軽佻浮薄な都市文化を総称する慣用句である。アール・デコとシュルレアリスムが勃興し、コクトーと「六人組」の作曲家たちが物議を醸し、バレエ・シュエドワ(瑞典バレエ団)公演やサッシャ・ギトリーの新作劇の上演、ミスタンゲット、イヴォンヌ・プランタン、イヴォンヌ・ジョルジュの歌唱が喝采を浴びた時代でもある。
この時代の巴里文化に関する研究書や読み物は枚挙に暇がない。当時の音楽を特集したディスクだって少なからず存在するのだが、その殆どが「仏蘭西六人組」の音楽を中心に、時代の雰囲気を大まかに俯瞰するに留まっていて、「かようにシックでお洒落な時代でした」と概観するばかり。
そこにいくと、今回のタローのアルバムは気構えからして過去の類似企画とはまるで異なる。慧眼な彼は20年代の巴里文化の拠点であるキャバレー(音楽酒場)「
屋根の上の牡牛 Le Bœuf sur le Toit」に着目する。否、「着目する」どころか、彼はこの場所から片時も「目を離さない」のだ。
「屋根の上の牡牛」とは1921年暮から28年まで、巴里右岸マドレーヌ寺院にほど近く、フォーブール・サン=トノレ通りからボワシー・ダングラス街の小路を少し北に入った一郭(28 rue Boissy d’Anglas)に存在した伝説の店である。支配人ルイ・モイゼスは二年ほど前から別の街区で酒場「ラ・ガヤ」を営んでいたのだが、この場所に移転するに際し、店の常連だったジャン・コクトーの発案で奇抜な店名に改称した。云うまでもなく、コクトーは盟友ダリユス・ミヨーが作曲した同名のバレエ(1920)の題名に因んで、この屋号を思いついたのである。
この酒場(今風に呼ぶならナイトクラブか)には当時の巴里の芸術界を代表する風雲児たちが大挙して足繁く通ったことで知られる。先に名を挙げたコクトー(とその同伴者たるラディゲ)を筆頭に、店の常連にはジッド、サンドラール、デスノス、ツァラ、ブルトン、ピカソ、マン・レイ、ピカビア、サティ、ラヴェル、「六人組」の面々、ストラヴィンスキー、アルトゥール・ルービンスタイン、ルネ・クレール、モーリス・シュヴァリエ、そしてココ・シャネルとディアギレフまでが名を連ねていた由(
→仏語版Wikipédia)。この英文サイトもご参照あれ(
→「牡牛」年代記)。
要するに、「屋根の上の牡牛」では当地の最尖端の芸術家たちが夜な夜な集っては談論飲食に興じていた。供される酒や料理はともかくとして、錚々たる来客たちの顔ぶれこそが同店のなによりの名物だった。店内には一台のピアノが備えられていて、最新流行の「ジャズ」がひっきりなしに奏でられていた。20年代巴里の賑わいを象徴するようなこの店の存在については当時の芸術動向を扱った大概の本が触れているが、詳しくはコクトーの周辺にいたモーリス・サックスの回想録を繙くに如くはない(『
屋根の上の牡牛の時代』岩崎力訳、リブロポート刊)。
・・・とまあ、このあたり迄は20世紀芸術史を齧った者にはいわば常識なのだが、「屋根の上の牡牛」にとり憑かれたアレクサンドル・タローは更にその先をとことん追求する。この店で実際に鳴り響いていたピアノ音楽がどのようなものだったのか──その復元と再生を企てたのである。彼自身の述懐に耳を傾けよう(
→ここ)。
この映像でも言及しているが、タローは当時「屋根の上の牡牛」の専属ピアニストだった
ジャン・ヴィエネール Jean Wiéner(1896~1982)と
クレマン・ドゥーセ Clément Doucet(1895~1950)の存在と、当時の彼らふたりの楽曲にかねてから並々ならぬ関心を抱いてきた。
ヴィエネールは前身の「ラ・ガヤ」時代から同店の看板ピアニストとして活躍、多忙な彼の後釜として1924年に抜擢されたのが、前年アメリカから戻ったばかりのドゥーセだった。両者ともどもフランスにおける「ジャズ」受容の草分け的な存在であり、その後もしばしばアメリカのヒット曲や自作によるピアノ二重奏コンサートで共演し、第二次大戦勃発直前までレコード録音も旺盛に行った。
戦後ほどなく故郷のベルギーで不遇のうちにアルコール中毒で歿したドゥーセとは対照的に、ヴィエネールは映画音楽の分野に活路を見出し、ジャック・べッケル監督の《
現金に手を出すな》、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の《巴里の空の下セーヌは流れる》《殺意の瞬間》《奥様ご用心》《私の体に悪魔がいる》、そして何よりも、ロベール・ブレッソン監督の忘れ難く崇高な三作品《
バルタザールどこへ行く》《
少女ムシェット》《
やさしい女》に音楽を提供した、と記すならば、映画愛好家たちはおゝと感嘆の声を漏らすだろう。晩年には興味津々の自叙伝『アレグロ・アパッショナート Allegro appassionato』(1978)も遺している。
アルバム解説冊子冒頭のインタヴューで「この録音はどうやって生まれたのですか?」との質問に対して、タローは次のように熱っぽく答えている。
私の祖父の話から始めましょう・・・。ヴァイオリン奏者だった祖父は、巴里のラムルー管弦楽団の一員でした。でも20年代から30年代にかけてはカフェやダンスホールでも演奏し、無声映画の伴奏や、ジャズバンドのリーダーだったレイ・ヴァンチュラの録音にも参加しています。両大戦間、ありとあらゆる種類の音楽と係わったミュージシャンのひとりだったわけです。これが私の出発点でした。
私の「屋根の上の牡牛」に対する興味は、伝説的なピアノ・デュオ、ジャン・ヴィエネールとクレマン・ドゥーセの録音を発見した子供時代にまで遡ります。私は彼らの音楽づくりにぞっこん惚れ込んで、その熱中は今もなお続いていると告白しましょう。でも彼らの二台ピアノ用の編曲をそっくりそのまま実際に譜面で弾くのには何年もかかりました。なにしろスコアが全く残されていないのです。
祖父の生きた時代への関心からヴィエネール&ドゥーセの音楽に親しみ、その活動拠点である「屋根の上の牡牛」への已み難い憧憬を募らせたという成り行きらしい。代々音楽一族だったタロー家にはひょっとして彼らの戦前のSP盤が残されていたかもしれないし、1980年にはピアノ・デュオ録音の覆刻LP(小生も愛聴した。
→これ)も出たから、往時の音楽を手近に聴くことも可能だった筈だ。
ただし、録音としては数多く残るピアノ・デュオ作品も、肝腎の譜面が現存しない。一度も出版された形跡がないし、そもそも即興的に演奏されるばかりで、楽譜に記録する音楽ではなかったのだろう。やむなくタローは戦前のSP録音に耳を欹て、苦労して一音一音を譜面に書き起こした。今回のアルバムに収められた四曲(09、10、11、12)は、そうした彼の labour of love の賜物である。
幸いにも、彼らがそれぞれ単独で書いたピアノ独奏曲は同時代の「ヒット曲」楽譜として流布したから、タローの演奏は個々の刊行譜から奏されている。冒頭でも紹介したが、ワーグナーを素材とするドゥーセの楽曲「
イゾルディーナ」はその一例であり、同工異曲ながらショパンを引用した「
ショピナータ」(01)、リストに基づく「
アンガリア」(05)もまた才気に満ちた逸品である。
ヴィエネールの楽曲では自作の「
ブルーズ」(14)や「
ハーレム」(22)など、どれも味わい深いが、とりわけ秀逸なのは編曲物の「
セントルイス・ブルーズ」(25)だろう。1938年ヴィエネールが同曲をチェンバロ(ランドフスカ女史が開発した「プレイエル・クラヴサン」)で録音した故事に倣い、タローもまた博物館からわざわざ往時の楽器を借りて収録に臨んだ。天晴れなこだわりである。
タローは先のインタヴューで、「屋根の上の牡牛」の歴史的な意義をざっと述べたあと、このアルバム制作のそもそもの発端について語る。
・・・その「牡牛」でピアノを弾いていたのは、ほかでもない、才能溢れる若き日のジャン・ヴィエネール──やがて20世紀で最も魅力的な作曲家のひとりになる──だったのです。そこであなたの質問に対する回答ですが、この録音をしたいという願いは、まさにそのジャン・ヴィエネールへの私の愛着に端を発しているのです(たった一度きりですが、ご本人にお目にかかりました。八歳のときでしたが)。成程それで納得した。タローのディスクが単なる懐古趣味や思いつきのアンソロジーとは決定的に異なる理由はそこにある。三つ子の魂百まで。子供時代から営々と培ってきた愛着はもはや執念の域に達していた。本アルバムはどうしても作らねばならぬ必然の賜物だったのだ。かつてジョン・エリオット・ガーディナーがパーシー・グレインジャーのアルバムを出したとき、ライナーノーツで六歳の頃にグレインジャー本人と会って強烈な印象を受けたことを回想していたが(
→ここ)、本アルバムはまさにそれと同等の体験に由来する。出るべくして出たのである。
当然のことながらアルバム収録曲のほぼすべては「屋根の上の牡牛」ゆかりの、店のピアノで実際に奏でられたナンバーなのだが、いくつか例外もある。どうしても必要だと判断して、タローがあえて加えた楽曲が含まれているのだ。
ミヨーの「
フラテッリーニ一座のタンゴ」(19)とは耳馴れぬ曲名だが、一聴すれば明らかなように、これはバレエ『屋根の上の牡牛』(1920初演)の冒頭をそっくりそのままピアノ編曲したもの。店名の由来を示すものとして、本アルバムにはどうしても欠かせない選曲だろう。
コクトー作詞・ミヨー作曲の戯れ歌「
キャラメル・ムー」(21)は仏蘭西人が最も早くラグタイムを摂取し咀嚼した先駆的な作例として見逃せない(1920作曲)。高橋アキやコシミハルの録音でこの佳曲を知った向きもおられよう。
ラヴェルの「
五時のフォックストロット」(20)は、傑作オペラ『子供と魔法』(1924初演)の一場面でティーポットとティーカップが英語と中国語で歌う滑稽な二重唱(のピアノ編曲)。新しもの好きのラヴェルは「牡牛」に通い詰めた成果を逸早くノヴェルティ・ソングとして歌劇場で披瀝したのである。因みにこの「五時」ピアノ版の世界初演は1925年に東京(!)でなされた。
このアルバムに注いだタローの情熱と労力は際限がない。その一端はスタジオに招いた共演歌手の人選における深謀遠慮にも如実に表れている。
「
どうすればよかったのかしら J'ai pas su y faire」(08)は20年代を代表する薄命のシャンソン歌手イヴォンヌ・ジョルジュ Yvonne George(1896~1930)の持ち歌。「屋根の上の牡牛」にもたびたび登場した彼女は1925年2月の初録音にこの曲を選び、ジャン・ヴィエネールとの共演で忘れ難い名唱を残した(同じセッションでサティの「お前が欲しい Je te veux」も収録した由)。タローはこの一曲のために気鋭の個性派歌手
ジュリエットを指名した。その歌唱は上に紹介したプロモーション映像でも視聴できる(
→ここ)。元歌とは些か趣を異にするが、これはこれで恰幅のいい、味わい深い歌唱である。
ヴィエネールの「
歌うブルーズ Blues chanté」(16)は無歌詞で唄われる渋いブルーズである(1923作曲)。「ここでは声は楽器のように──低音楽器のように扱われる」という作曲者の指示を生かして、密やかに低音のスキャットを聴かせるのは、なんと!仏蘭西一の歌姫
ナタリー・ドセ(デセイ)なのだから吃驚してしまう。誰もこの声が彼女とは見破れまい。なんという驚愕、なんという贅沢!
そして最後に、わが最大の嬉しい驚きは、たった一曲のためにタローがわざわざ米国から
マデリン・ペルーを招聘したことである。これまた、なんという驚愕、なんという贅沢! しかも、タローが彼女のため特別に用意した「とっておき」の一曲とは、コール・ポーターのあの「際どい」名作、「
レッツ・ドゥー・イット」(06)というのだから、なんともはや、これに勝る歓びはなかろう。この一曲に耳を傾けるためだけにでも、本アルバムを手に入れる価値があるというべきだ。