実に久しぶりの投稿である。昨年十一月から丸四か月というもの、冬眠さながらに暗中じっと息を潜めていた。しばらくは何も手につかなかったが、やがて細々ながら音楽を聴き始め、手探りで読書も再開した。その間にリーザ・デッラ・カーサとガリーナ・ヴィシネフスカヤ、大島渚とアレクセイ・ゲルマンの訃報に接し、その度毎に深い感慨を禁じ得なかった。沈黙していてはいけないのではないか、どこかで密やかにそう囁く声がした。
三月に入って、まだ春とは名ばかりの寒さではあるが、少しだけ穴倉から顔を出してみる心持になって、覚束無げにキーボードを叩いている。長い文章はまだ無理だとしても、ちょっとした感想を呟くことならできそうな気がする。
昨夕たまたま電車の乗り継ぎの時間潰しに立ち寄ったJR駅構内の書店で、何気なくふと手にした一冊。
ピーター・バラカン
ラジオのこちら側で
岩波新書
2013
岩波新書の新刊をレジに持参するのは何年ぶりだろう。どういう理由からか、ここの老舗から読みたいものがとんと出なくなって久しいのである。だがこの本には何かしらピンとくるものがあった。切実な心情の吐露を予感させずにはおかぬ何かが。そしてその直感的な期待は裏切られなかった。
小生はピーター・バラカンの番組の熱心な聴取者とは到底いえない。InterFMで昨春までやっていた「バラカン・モーニング」も数えるほどしか聴いていないし、NHK・FMの「ウィークエンド サンシャイン」も、土曜の朝たまたま早起きした折にちょこっと耳にする程度。だから彼が力を込め推奨するワールド・ミュージックも、まるで不案内のまま今日に至っている(とはいえ時にハッとするほど素晴らしい楽曲が番組でかかることは否定しない)。
むしろバラカンさんといえば、深夜TBS・TVでやっていた「CBSドキュメント」や、NHKワールドTVの日本紹介番組「ジャパノロジー」での知的で物静かな語り口のほうの印象が強い。そんな体たらくだから本書の紹介役の任に堪えそうもないのだが、それでも声を大にして云いたい。かつて若き日に電波を介して音楽に接したことのある者にとって、これは必読の一冊なのだ、と。
あっさり控え目な表題は勿論のこと、帯の惹句にも、カヴァー折込の内容紹介にすら明記されていないが、本書はバラカンさんの率直な自叙伝である。
倫敦に生まれ、筋金入りのロック少年として育ち(彼は小生とほぼ同世代である)、何故か大学で日本語を習得したという不思議な英国青年は、日本の楽譜出版社の求人に応募して1974年に初めて来日。当時の日本ではカーペンターズが絶大な人気を誇っていたが、スティーヴィ・ワンダーの全盛期でもあり、一部の音楽ファンの間ではブルーズが熱心に聴かれていた。日本に来てすぐティン・パン・アレーやハックルバックの実演にも足を運んだというから、きっとこの時期、小生ともどこかの演奏会場で擦れ違っていたのではないか。
日本語会話にはさして不自由しなかったらしいバラカン青年も、日本特有の窮屈な「タテ社会」にはほとほと往生した由。会社の上司から「これは腹芸だから」と言われて意味が分からず困惑したという。仕事は海外楽曲の著作権の取得と、新曲の日本でのプロモーションが主だったが、英国と日本との音楽嗜好の間に横たわる少なからぬ落差、更には彼自身の「好きな音楽」と世間で「売れる音楽」との乖離には常に悩まされたようだ。異文化との接触につきもののディレンマ、趣味を職業にしたことからくるストレス──二重の軋轢が彼を苦しめた。それでもデビューしたてのエルヴィス・コステロの売り込みに成功するなど、成果は確かにあった。
1980年に楽譜出版社を辞めたのちは、持ち前のバイリンガル能力と音楽への造詣を買われてYMOの事務所に入社、海外プロモーションの一翼を担い、坂本龍一の曲に英詞をつけたり、大島渚の《戦場のメリークリスマス》ロケに坂本の付き人として同行したりしたのは夙によく知られたエピソードだろう。並行してFM東京の「サウンド・コネクション」(襟川クロと)や「スタジオ・テクノポリス27」(矢野顕子と)でDJを開始した。今日に連なるバラカンさんの仕事はこの時期に方向づけられたとおぼしいのだが、残念なことに小生は80年代に入ると急速に同時代音楽を聴かなくなったため(相応に歳をとったのと、本業が忙しくなったからか)、これらのラジオ番組を耳にした記憶は全くない。
小生が微かに思い出せるのは、84年から87年まで続いたというTBS・TVの「ザ・ポッパーズMTV」でチラと瞥見したバラカンさんの物静かな解説姿である。同時期に同じく海外ミュージック・ヴィデオを紹介した小林克也DJの「ベストヒットUSA」がその名のとおりヒット曲中心の音楽番組だったのと対照的に、他では目にしない珍しいヴィデオ・クリップを探し出して放映する姿勢が劃期的に新しかったことは本書に詳しく語られている。
彼が単に「日本語が上手な音楽好きの外人」に留まらない独自の存在感を印象づけたのは、88年から始まったTBS・TVの報道番組「CBSドキュメント」(TBS)での解説役としての起用だったと思う。少なくも小生にとってはそうだ。元の素材である米CBSの "60 Minutes" 自体が気骨ある良心的な番組だったことが大きいが、コメント役のバラカンさんの冷静沈着な、時に辛口な評言をちらと織り交ぜた語り口(眉間に皺を寄せ、ちょっと険しい表情になる)に惹きつけられた。日曜日の深夜(というか月曜早朝)という不利な時間帯にも拘わらず、わりに熱心に観た憶えがあるのは、小生が美術館に勤務するようになり、月曜日が休みだったという特殊事情も絡んでいるに違いない。本書でバラカンさんは「自分が実際に知っている以上に物知りであるかのように、テレビには映っていた」「ぼくは本当はそんなによく分かっているわけではない」と謙遜気味に述懐しているが、あの番組で垣間見た彼の知的な佇まいには確かに忘れがたいものがある。
・・・という具合で、いつしかDJとかブロードキャスターとかの肩書を名乗るようになったバラカンさんだが、ここらあたりの記述(80年代末まで)はまだ本書の半分にも到達しない。このあと「ワールド・ミュージック開眼」「世紀も変わる、メディアも変わる」「ラジオのゆくえ」と題された諸章で、今日に至る実践的な歩みが辿られる訳だが、あとは実際に本書の頁を捲っていただくに如くはないだろう。
後半の記述ではとりわけ、ラジオという媒体のあり方、更にはディスクを通じての音楽受容そのものが急変しつつある転換期の現場に身を置くバラカンさんならではの鋭い洞察と、将来への示唆に富んだ展望を含んでいる。
抜群の日本語力、多年にわたる濃密な音楽体験、僥倖というべき多くの知友との出逢いに彩られたこの半生記を一種のサクセス・ストーリーとして読むこともできようが、本書に於けるバラカンさんの筆致は、生身のご本人のしゃべりと同様に謙虚で穏やか、あくまでも控えめである(とはいえ、ときに遭遇した理不尽に対しては率直に憤っているが)。風に吹かれるまま、転がる石のようにここまで来たのだ、と云いたげに淡々と達観した語り口なのだ(云い忘れていたが、本書は全篇「語りおろし」である)。
それにしても、とつくづく痛感する。このような稀代の達人がプロデューサーや評論家ではなく、音楽の紹介者・仲介役として我々の前にいてくれる幸せを改めて噛みしめたい思いだ。彼のような頼りになる導き手、信のおける水先案内人こそが今という時代に必要なのである。本書の末尾でバラカンさんはこう語る。
音楽を紹介する司書のような、ソムリエのような能力のある人材を育てることも、必要なはずです。ぼくの同世代の細野晴臣も、坂本龍一も、驚くほど真剣に、次の世代にいい音楽を受け継ぎたい、と思っています。自分の若いころに輝いていた音楽への郷愁もあるけれど、今の若いひとたちには、まだ彼らが出会っていない、いい音楽を知ってほしい、と感じているのです。
最後に追記ふうに附言すると、本書には随所に、というか、十年刻みでバラカンさんの選ぶ「鍾愛の十曲」が掲載されている。章が進むにつれ、馴染のない楽曲ばかりになるのが口惜しくもあり情けなくもなるのだが、それでも「2000~2009年の10曲」のなかに、マデリン・ペルーの「ドント・ウェイト・トゥー・ロング」とエイミー・ワインハウスの「リハブ」が挙げられているのを見出して、思わず我が意を得たりとばかりに小躍りした次第だ。
本書も引用するデューク・エリントンの言葉「音楽には、いい音楽と悪い音楽の二種類しかない(There are only two types of music, 'good' and 'bad'.)」はまさしく至言なのだと思う。
(3月12日の追記)
ピーター・バラカンさんからのツイートを急ぎ転載しよう。
唐突ですが、4月1日から「バラカン・モーニング」が復活することになりました。月~木、朝7時から10時、InterFM, 76.1。 リクエストも受付中です。
barakan@interfm.jp
毎朝これを聴けるのが愉しみです。