巴里の
ジャックマール=アンドレ美術館(
→「傑作の美術館、美術館の傑作」)を最後に訪れたのは1999年の初夏だったと憶えている。そのとき起こった思いもよらぬ椿事を書いてみたい。ただし美術館とは全く無縁の出来事である。
まだこの美術館を知らないという友人を誘って、朝食もそこそこ急かすようにして早目にホテルを出た。気持ちのよい朝のサン=マルタン運河に沿ってしばらく歩いて、共和国広場から九号線のメトロに乗る。最寄のミロメニル駅まで乗換なしの一本。ほんの十数分で着いてしまう。九時半を少し回った頃合に目指す美術館に辿り着いたところで、早く来すぎたと気づく。ここは十時開館だったのだ。
しまったなあ、もっと朝食をゆっくり摂ればよかったなと後悔する。半時間ほど待たねばならぬ。所在ないので、美術館のあるオスマン大通り界隈の商店街を少し歩くと、美術館の並びの数軒先に古本屋を発見。ただし、まだ店が開くような時刻ではない。またあとで再訪すべく通り過ぎようとして、店頭の硝子窓に一枚のポスターが貼られているのにふと目を留めた。思えばこれこそ運命の出逢いである。
そのポスターは巴里市内での古本市の開催を告げていた。しかも挿絵本に特化した即売会だという。当時、小生はウィリアム・ニコルソンやアンドレ・エレの絵本収集をほぼ終え、1920~30年代のロシア絵本を躍起になって集めていた時分だったから、挿絵本フェアと知って俄かに色めき立った。何か見つかるかも知れぬ。告知に拠るとその日が最終日だそうな。そうわかると、もう矢も盾も堪らない。たちまち心ここにあらずの状態になったのは我ながら収書家の哀しい性である。
十時になったので最初の客として美術館に入館はしたものの、案内する小生がどこか上の空だったことは否めまい。お目当てのレンブラントもウッチェッロも、いつもの定位置に変わらずあったし、同行の友人はどうやらこの館を堪能したようだったからよかったものの、本当はここの瀟洒な食堂でランチを楽しむべきところを、急ぎ足でそそくさと美術館を辞した。メトロをどう乗り継いだかは記憶にないが、半時間ほどのちには左岸のモーベール=ミュテュアリテ(Maubert-Mutualité)駅からまるで見知らぬ街区に出た。
古本市の開催場所メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテ(La Maison de la Mutualité)は界隈でひときわ大きな建物なので、いともたやすく行き着いた。アール・デコ風のすっきりと美しい建築だったし、往時の指揮者クリュイタンスの録音でその名を記憶するサル・ド・ラ・ミュテュアリテはきっとここに違いないという想いもチラと脳裏を掠めたが、今はそんな感慨に耽る余裕はない。急いで入場料を払い、係に荷物を預けると、奥の大広間へと足早に歩を進めたものである。
愛好家には馴染の光景だろうが、広い部屋はいくつもの衝立で細かく区切られ、ブースごとに仏蘭西各地の挿絵本専門の古本屋がそれぞれ自慢の逸品を開陳している。最終日だから飛びきりの掘出物は疾うに売れてしまっただろうが、行きずりの旅行者には稀書に出逢うまたとない機会である。
ブースの多さに一瞬たじろいだものの、店にはそれぞれ得意分野があり、一口に挿絵本といっても中世末の彩色写本からピカソやマティスの版画入り限定版まで実にさまざま。博物誌や地図ばかり扱う店もある。しかも、挿絵本だから何を商っているか通りすがりに一目瞭然なので、お望みの店が容易に発見できるのだ。
案の定、一軒だけだが戦前のロシア絵本を扱っている店があった。会場に入って数分後にはこのブースに辿り着き、硝子ケースに並ぶ絵本の品定めを始めていた。こういう姿は他人様に見せられない。阿修羅のようだからだ。
ふと傍らを見遣ると、ひときわ目立つ場所に一冊の分厚い書物がわざわざ立てかけてあった(
→こういう表紙)。
"Dictionnaire des illustrateurs de livres d'enfants russes" と題された本。「ロシア児童書挿絵画家事典」とでも訳せばいいのか。「おゝ」とその場で思わず言葉にならぬ嘆息を禁じ得なかった。辞書と銘打たれてはいるものの、これは歴とした展覧会カタログである。
二年前の1997年秋、巴里のフォルネー図書館で催された「ロシア・ソ連の子供絵本 1917~45年 Livres illustrés russes et soviétiques pour enfants, 1917-1945」展の出品絵本(優に四百冊はあった)をモノクロ図版で収録、画家名のアルファベット順に懇切な解説を加えた事典仕立の一冊。 ロシア絵本の収集家・研究者にとってバイブルのような存在だった(十五年後の今もそうである)。
信じられないような僥倖に恵まれる機会が長い人生で誰しも一度や二度はあるものだが、小生の場合この展覧会の開催時、偶然にも出張で巴里に居合わせたのがその筆頭に挙げられよう。なんとも凄い強運と云うほかない。
同展は稀少なロシア絵本を数多く展示するに留まらず、1930年代の仏蘭西でその強い影響のもと刊行された絵本シリーズ「ペール・カストールのアルバム」も一緒に展示することにより、両者をひと繋がりの同時代運動として示した。ソ連絵本を最初に発見したのは自分たち仏蘭西人なのだという自負と矜持に満ちた展覧会だったのである。会場には「
ロシアの子供たちだけが革命の享受者である」で始まる詩人サンドラールの讃辞が大きく掲出されていた。いやはや、これには目を瞠ったなあ。感動のあまり、その場でカタログを何冊も買った。・・・
・・・とまあ、そういう自慢話を同行した傍らの友人に向かって滔々とした。ほれ、このカタログこそがまさにそれなのだ、と。
そのときである。ブースに佇むこの店の主人とおぼしき男性が話しかけてきた。どうやら先程から我々の日本語の会話を傍で立ち聞きしていたらしい。
「お前さんはこの展覧会を知っているのかい?」
「勿論知っていますとも! 二年前の秋たまたま巴里に滞在していて、観る機会を得たのです。その素晴しさに圧倒されました」そう答えると、主人はにやりと微笑するなり、「
ぢゃあ、お前さん、この名前には気付かなかったのかな?」というなり、カタログ表紙の下端の著者名を指でなぞり、然るのち徐ろにブースに掲げてある看板を見上げ指差した。
驚いたことに、両者には同じ名「セルジュ・プランテュルー Serge Plantureux」と記されていた。そうなのだ、古本屋の店主こそがあの大展覧会のキュレーターその人だったのである!
(まだ書きかけ)