最後に巴里を訪れたのはもう十年以上も前になろうか。この街からはすっかり足が遠のいた感じがする。正直なところ倫敦ほどに愛着の湧かない街である。徒らに強大な国家権力を誇示したような整然たる街区がどうにも鼻についてならない。なんとも身の置き処に困る、はっきり云って蟲の好かぬ都なのだ。
しかしながら、そんな小生とて懐かしく思い出深い場所がいくつかある。通りを歩くなら、壮麗なブールヴァールよりも落魄の風情を醸すパッサージュの裏路地のほうが好もしい。歌劇場だったらオペラ座でもバスティーユでもなく、古びた小ぶりなオペラ=コミック座、もっと云うならば運河にぽっかり浮かぶ平底船をそのまま用いた極狭のペニッシュ・オペラにこそ愛着を覚える。強権とは縁のない小さな隠れ家のような場所を好むのは、まあ個人的な嗜好の然らしむるところだ。
美術館とて同じこと。ポンピドゥーもオルセーもルーヴルも全く好きになれない。偉そうに尊大に構えて国威宣揚の場みたいだし、だいいち大規模すぎて手に余る。昔は仕事ということで仕方なく前二者には何度か通ったものの、ルーヴルには一度も入ったことがないし、今後も赴くことはあるまい。レオナルドの《岩窟の聖母》も《ラ・ベル・フェロニエール》も倫敦で観てしまったことだし。
どうせ行くのなら小規模な館を選びたい。モロー、ロダン、ブールデルなど美術家の旧宅がそのまま美術館になったところか、あるいは修道院跡に建つクリュニー美術館の静寂を好む。中世美術を専門とするひっそり閑散とした館で、名高い《貴婦人と一角獣》のタピスリー群を飽かず眺むるのは密やかな愉しみだ。時の経つのを忘れる魔法の空間である。
・・・と由無し事を書き連ねたのは、しばしば訪れているカ・リ・リ・ロさんのブログ「
みんなみすべくきたすべく」で、小生が秘かに贔屓にしてきた巴里の美術館の訪問記を読んで、無上の懐かしさを憶えたからである(
→ここ、
→ここ、
→ここ)。
巴里右岸の大通り、ブールヴァール・オスマンに面しているものの、観光客の屯する巴里の中心街区からは少し外れた場所にあるせいか、知るぞ知る存在に留まっている美術館である。最寄の駅は地下鉄のミロメニル(Miromesnil)だったろうか、そこからも七、八分は歩いたように思う。さして人通りもない閑散とした界隈に位置する。その名を
ジャックマール=アンドレ美術館 Musée Jacquemart-André と称する。初耳だという方も少なくなかろう。
「ジャックマール=アンドレ」とは美術館の建物の元の持ち主の苗字に因む。妻のネリー・ジャックマールは元々画家だった。富裕な銀行家エドゥアール・アンドレに嫁いでからは夫唱婦随(むしろ「婦唱夫随」か)で美術品収集に精を出し、1869年に建てた邸内を夥しい絵画・彫刻・工芸・調度品のコレクションで埋めつくした。夫妻の暮らした屋敷は、未亡人の歿した翌年(1913)からはそのまま美術館として、彼らの生前を彷彿とする姿で公開されている(
→大通りからの全景)。
ここは第二帝政期のブルジョワジーの日常を偲ぶのに恰好の場所である。倫敦でいうならウォーレス・コレクションや、サマセット・ハウス内のコートールド・ギャラリーに似ていなくもない居住環境だが、流石に仏蘭西人ジャックマール=アンドレ夫妻の暮らし向きは英国貴族よりも遙かに豪勢で、しかも瀟洒な味わいを醸している。いかにも居心地のよい典雅な室内なのだ。
この美術館のいいところは、立派だが威圧的でない室内に、点数こそ他館に劣るものの、趣味のよい選り抜きの収集品ばかり飾られている点だろう。そこに珠玉の逸品を思いがけず発見するのは無上の歓びである。
コレクションは仏蘭西・伊太利・阿蘭陀(および法蘭徳倫)の三分野に大別されるが、それぞれに忘れ難い名品が潜んでいる。だから観ていて飽きることがない。
18世紀仏蘭西のロココ絵画はとりわけ秀作揃いだが、思いつくままに数点を挙げるなら、ナティエ(
→これ)とヴィジェ=ルブラン(
→これ)が描いたそれぞれ典型的な貴婦人の肖像、それにシャルダンにしては珍しく堂々たる大作の対幅静物画(
→これと
→これ)だろうか。展示室の「絵画サロン」はこんな雰囲気の部屋である(
→これ)。実際は写真で見るほど広壮な空間ではなく、いかにも安楽な客間といった感じ。まあ日常生活を送るのには贅沢だろうが。
阿蘭陀絵画だったら迷うことなく、この一点を選ぼう(
→これ)。
死から復活したキリストが不意に弟子たちの前に出現したという《エマオの晩餐》の場面。主役のキリストを逆光で完全なシルエットとして描いたのはレンブラント若き日の卓見である。驚き慌てる弟子の表情がいいし、遠景で料理の支度をする人物を小さく覗かせる工夫も秀逸。小品ながら素晴らしくドラマティックな傑作だ。
伊太利の文芸復興期の絵画にも、宝石のように輝く小品がある。ウッチェッロの《龍を退治する聖ゲオルギウス》(
→これ)。カ・リ・リ・ロさんがわざわざこの一点のために美術館まで足を運んだのも宜なるかな(
→ここ)。この絵のお伽話めいた魅惑はなんとも筆舌に尽くし難いものだ。千里の道も遠しとせず赴くに値しよう。
最後にこの美術館を訪れた1999年、道沿いの塀には大きな看板(だったか垂れ幕)が掲げられ、そこにはこんな評言がさり気なく小さな字で(しかし誇りかに)記されていた。その光景を今だに忘れられない。
Le Musée des Chefs-d'œuvre, le Chef-d'œuvre des Musées.すなわち、「
傑作の美術館、美術館の傑作」。
云い得て妙とは正にこのことだ。ジャックマール=アンドレ美術館の特色を一言で表すのに、これ以上に見事な惹句は思いつかない。勿論これは稀代のアフォリズムの大家ジャン・コクトーの吐いた言葉なのである。天才詩人に座布団百枚!