窓の外では先程から雨がそぼ降る。そのほかに物音のない静かな秋の夜更け。ならば今夜こそ究極のこの一枚を。
《バッハ:小プレリュードとフーガ集 Bach: Preludes, Fughettas and Fugas》
バッハ:
01. 小前奏曲 ハ長調 BWV933
02. 小前奏曲 ハ短調 BWV934
03. 小前奏曲 ニ短調 BWV935
04. 小前奏曲 ニ長調 BWV936
05. 小前奏曲 ホ長調 BWV937
06. 小前奏曲 ホ短調 BWV938
07. 前奏曲 ニ短調 BWV899
08. 小フーガ ニ短調 BWV899
09. 前奏曲 ト長調 BWV902-1
10. 前奏曲 ト長調 BWV902-1a
11. 小フーガ ト長調 BWV902-2
12. 小前奏曲 ハ長調 BWV924
13. 小前奏曲 ヘ長調 BWV927
14. 小前奏曲 ニ短調 BWV926
15. 小前奏曲 ニ長調 BWV925
16. 小前奏曲 ヘ長調 BWV928
17. 小前奏曲 ト短調 BWV930
18. フーガ ハ長調 BWV952
19. フーガ ハ短調 BWV961
20. フーガ ハ長調 BWV953
21. 前奏曲 イ短調 BWV895
22. フーガ イ短調 BWV895
23. 前奏曲 ホ短調 BWV900
24. 小フーガ ホ短調 BWV900
ピアノ/グレン・グールド
1979年10月10、11日(01-11)、80年1月20日、2月2日(12-24)、
トロント、イートンズ・オーディトリアム
ソニー・ミュージック・ジャパン SICC 658 (2007)
長いこと生前のグレン・グールドを敬して遠ざけてきた。なにしろ振舞が奇矯だったし、演奏もそれに輪をかけて常軌を逸して恣意的に思えたからだ。しかも1970年代にはエリザベス朝ヴァージナル曲集だの、ワーグナーの楽劇からのピアノ編曲だの、グリーグやビゼーやシベリウスのピアノ曲、ヒンデミットのピアノ・ソナタや金管ソナタや歌曲集の伴奏だの、「そんな曲を誰が聴くのか?」と訝しがるようなアルバムばかり陸続と出た。要するに、取りつく島もないピアニストだったのだ。
だからこの新録音が出たときも「取るに足らぬ曲ばかり集めた地味な小品集」位にしか思わなかった。しかもカヴァー写真が変わっている。家具も調度もない、壁と床が剥き出しになったビルの一室に所在なく佇むグールド(
→これ)。よりによって何故こんな殺風景な場所でわざわざ撮ったのだろうか、というのがアルバムを手に取ったときの偽らざる第一印象だった。
LPに針を落とした瞬間、全身に走った電撃のようなショックを今も忘れない。
息を呑むほど明晰で鮮やかに彫琢されたバッハ。どれも一、二分にも満たぬ「取るに足らない」小品ばかりなのに、グールドの手にかかると、紛うことなきバッハならではの厳粛と愉悦がたちどころに現出する。どんなに小さな紙片に描かれてもレオナルド・ダ・ヴィンチの素描だと即座に判るのと同じことだ。
芥子粒のなかに須弥山ありの諺どおり、小さな星屑のような小品の裡にも、堅牢な構造を内包する小宇宙が潜んでいたのである。
それ以前もグールドのバッハに一目おいてはいたけれど、この一枚でつくづく思い知らされた。至高の境地とはこのことだろう。同時代に生きる歓びをひしひし感じたものだ。まだ知る由もなかったが、彼にあと僅か二年の寿命しか残されていない1980年の段階で漸く開眼したのである。すんでのところで間にあったのだ。