午後遅く神保町に赴く。明日の会議のための予備作業。長丁場に及ぶかと思いきや二時間で解放。拍子抜けした面持ちで裏通りを歩く。二十代から三十代初めの十年近くを編集見習として過ごした界隈である。昔のままの建物は殆ど残っていないが、あたりに漂う雰囲気や佇まいはそのままだ。
懐かしさのあまり、通りすがり条件反射でつい天丼「いもや」に入ってしまう。朝から何も食していないことに気づいたからでもある。迷うことなく大盛を註文。難なく平らげたのはまだ老人ではない証拠なのか。ただし昔ほど旨いと思わないのは少しは味覚が向上したのであろう。
腹ごなしを兼ね某店で中古音盤を物色。不当に安価な二枚を思わず拾う。
"Borodin & Tchaikovsky: Symphonies"
ボロディン: 交響曲 第二番*
チャイコフスキー: マンフ レッド交響曲**
パウル・クレツキ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
1954年2月3、12日*、1月29、2月2日**、ロンドン、キングズウェイ・ホール
Testament SBT 1048 (1994)
名匠クレツキの期待に違わぬ秀演。モノーラルであることを忘れ聴き惚れた。
1933年ベルリンからイタリアに逃れ、そこでもユダヤ人たるわが身が危うくなるとソ連に活路を求め、レニングラードやバクーの管弦楽団を指揮し、37~38年にはハリコフ・フィルハーモニーの常任を務めたこともある由。ただしこの国も粛清の時代の真只中だったから安住の地ではあり得なかった。ともあれロシア音楽がクレツキにとって掌中の珠の如き存在だったことは想像に難くない。
だから...と短絡させて語るのは安易なのだが、この二曲の演奏は実に確信に満ち堂々たるものだ。冗漫なマンフ レッド交響曲を(カットはあるものの)こんなにも音楽的に聴かせる才能は半端でない。
"Koussevitzky conducts Russian Music"
プロコフィエフ:
古典交響曲*
「道化師」より 終幕の踊り*
ショスタコーヴィチ:
交響曲 第九番**
チャイコフスキー:
幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」***
セルゲイ・クセヴィーツキー指揮
ボストン交響楽団
1947年11月25日*、46年11月4日&47年4月2日**、47年4月19日***、
ボストン、シンフォニー・ホール
Biddulph WHL 058 (1999)
いずれもクセヴィーツキー(米国風にはクーセヴィツキー)の晩期に属する露西亜物の録音を揃えた好企画。ただし、予想に違わずいかにも鈍重な演奏ばかりだ。リズムは重たく単調、曲の運びもぶっきらぼうで、遅いともたもた、早いとせかせか。洒脱なところは皆無。要するにセンスの欠片もない指揮なのだ。こんな奴が半世紀近くパリやボストンの楽壇を牛耳っていたのだから不思議な気がする。
ショスタコーヴィチの第九の米国初演はクセヴィーツキーその人。しかもここに聴くのは世界初録音なのである(世界初演の指揮者ムラヴィンスキーは録音はおろか二度とこの曲を振らなかった)。その意味からも必聴の演奏である。
米国初演時の実況(1946年8月10日)を短波放送で傍受したらしい作曲者は「
第二楽章のテンポが余りに遅すぎる」と早速クセヴィーツキーに苦言を呈したという。二箇月後の11月に行われた初録音だが、翌年春にもう一日セッションを追加したのはあるいは二楽章を再録音するためだったのかも。さして音楽的にはパッとしない演奏とはいうものの、史料的価値は抜群である。
ほんの数分間だが、プロコフィエフ「道化師」の終幕の場が収録されているのも嬉しいし貴重である。しかも本CDカヴァーの装画はこのバレエの舞台装置のためのラリオーノフによる極彩色スケッチなのだ(
→これ)。