いやはや年は取りたくないものだ。すっかり記憶力が衰えてしまった。このところディーリアスとドビュッシーに現を抜かしてばかりいて、生誕百五十年になったもうひとりの存在をすっかり忘却していた。今年は鷗外森林太郎のアニヴァーサリー・イヤーでもあったのである。
実は拙ブログでも一度そのことを話題にしていた。今年の三月に荻大の旧友たちと季節外れの「蕎麦ツアー」を催した折り、たまたま根津界隈を散策していて偶然その事実を知ったのである。当日の記事に曰く、
再び不忍通りを歩く。道沿いに「森鷗外生誕百五十年」のバナー(→これ)が頭上に旗めくのに気づいた。ちっとも知らなんだ、鷗外がドビュッシーやディーリアスと同い年だなんて! ふと大逆事件で被告の弁護側に密かに情報を提供したという鷗外の複雑な心境を想う。ただし酩酊した脳にはそれ以上の詮索はどうにも叶わず、歴史的夢想は呆気なく麗らかな春風のなかに雲散霧消。
ほれこのとおり、「
鷗外がドビュッシーやディーリアスと同い年だ」とはっきり記している。にもかかわらず、酔払いの記憶はとんと定着しないものらしく、その後はすっかり失念してしまい、ただの一度も思い起こさなかったとは情けない。
この事実に改めて気づかされたのは、今日たまたま赤坂でこういう興味深い催しがあったからである。
東京ドイツ文化センター オペラ・トーク
グルック作曲/森鷗外訳 歌劇「オルフエウス」を語る
2012年9月14日(金) 19:00 -
ドイツ文化会館ホール
日本語
入場無料
トーク/渡邉和子(衣装・演出) 瀧井敬子(芸術監督) 花柳寿美(振付)
口上/
文豪森鷗外の生誕150年となる今年、鷗外が手がけた日本語訳によるグルックのオペラ「オルフエウス」(原題はOrfeo ed Euridice)が、文京区主催の「森鷗外生誕150年記念事業」の一環として上演されます。
ドイツとのゆかりの深い森鷗外ですが、その留学時代にグルックの「オルフェオとエウリディーチェ」を観ており、当時の資料には本人の書き込みのある劇場パンフレットなども残されています。それから30年後、鷗外はこのオペラを「オルフエウス」として翻訳、上演の計画もありましたが、結局上演されることはなく、幻の上演台本として残されてきました。
今回の上演では、森鷗外による日本語版解説・校訂を手がけた東京藝術大学の瀧井敬子特任教授が芸術監督を務め、またベルリン在住の演出家・舞台美術家の渡邉和子氏が衣装と演出を担当。その演出には日本舞踊も取り入れられ、花柳寿美氏が指導にあたっています。
ドイツ文化センターでは今回の上演に先立ち、渡邉和子、瀧井敬子、花柳寿美各氏をゲストに招き、オペラトークを行います。演出のコンセプト、森鷗外研究、舞踊、それぞれの視点からのオルフェウスへのアプローチを、画像や資料を交えて語っていただきます。
いや~面白いのなんの。鷗外が1914(大正三)年に本居長世からの依頼により歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の歌詞を邦訳した事実は夙に知られており、台本そのものは鷗外全集にも収録されているのだが、近年その直筆原本が永青文庫の細川護立コレクションのなかから見つかり、鷗外旧蔵のペータース版の袖珍楽譜との比較照合を行った瀧井敬子女史の研究により、元の独逸語の歌詞と母音の数まできちんと揃えた本格的な上演用台本であることが判明した。
結局この台本は諸般の事情により当時は一度も上演されぬまま長くお蔵入りしてしまった。なんとも勿体ない話だが、実のところ大正初年のわが国の幼稚な洋楽水準では、グルックのオペラですら満足のいく上演は儘ならなかったに違いない。
瀧井女史自らの解説で鷗外のオペラ探究のあらましを聴けたのは幸いだ。
鷗外は留学時に独逸語版「オルフォイスとオイリディケ」の舞台を実見し、入手した台本の欄外に観劇メモを記している。第二幕冒頭の黄泉国の場面に曰く、
塲現地獄、四面背奇岩怪石、左方有火坑、炎燄焦天、坑上有一鬼、手盾與槍、又有白髪男女鬼、褐衣而手棍者有焉、黒衣而握蛇有焉、Orpheus 抱瑟、自岩罅而出
この観劇体験と丹念緻密な記録が遙か後年の邦訳時に大いに役立ったことは云うまでもない。上述のとおり鷗外は架蔵するペータース版ポケット・スコアから独逸語の歌詞を書き抜いたうえで、母音の数を原詞とぴったり一致させ、日本語がグルックの旋律にすんなり乗るように腐心した。
鷗外の歌詞は格調高い文語体。こんな具合である。名高い第三幕のオルフェオのアリア「
エウリディーチェを失って」を引こう。
あな。君失せぬ、
はや。わが幸(さち)失せぬ。
など、など生れし。
世にあるぞ憂(う)き。世にあるぞ憂き。
エウリヂケ、エウリヂケ。やよや。
應(いら)へよ。やよや。
あな。やよや。應へよ。
汝(な)が夫(つま)ぞ、汝が夫ぞ、われ。
あな。君失せぬ、
はや。わが幸失せぬ。
など、など生れし。
世にあるぞ憂き。世にあるぞ憂き。
エウリヂケ、エウリヂケ。
あな。甲斐な。
安らひ、
慰め、
あらず、
われには。
あな。君失せぬ、
はや。わが幸失せぬ。
など、など生れし。
世にあるぞ憂き。
など、など生れし。
あな、世にあるが、あな、あるが、あな、あるが憂(う)。
因みに原詞を歌われるまま、繰り返し箇所もそっくり忠実に写すとこうなる。
Ach, ich habe sie verloren,
all mein Glück ist nun dahin!
Wär, o wär ich nie geboren,
weh, daß ich auf Erden bin, weh, daß ich auf Erden bin!
Eurydike, Eurydike, gib Antwort!
o vernimm mich!
O hör'meine Stimme,
die dich ruft zurück!
Ach, ich habe sie verloren,
all mein Glück ist nun dahin!
Wär, o wär ich nie geboren,
weh, daß ich auf Erden bin, weh, daß ich auf Erden bin!
Eurydike, Eurydike,
Ach, vergebens!
Ruh und Hoffnung,
Trost des Lebens
ist nun nirgends
mehr für mich!
Ach, ich habe sie verloren,
all mein Glück ist nun dahin!
Wär, o wär ich nie geboren,
weh, daß ich auf Erden bin,
Wär, o wär ich nie geboren,
weh, daß ich auf Erden bin, auf Erden bin, auf Erden bin!
(まだ書き出し)