昨日に引き続き、「
最後四首歌」から歌詞を引く。二曲目「九月 September」。
花園披著喪服
冷雨滲進花朵
夏季在發抖
靜待她的大限
金黃葉子一片一片
自高高的洋槐樹飄落
夏季笑了 驚訝 虛弱的笑
垂死的夏季夢見花園 在笑
她在玫瑰花旁逗留了
一會兒 想歇息歇息
然後慢慢合上
累極的眼皮
二連目に出る「洋槐樹(树)」は原詞では「アカシアの樹 Akazienbaum」。色づいた黄葉がひとひら、ひとひら舞い散る光景を感傷的に謳っている。「維基百科」の「アカシア」の立項は「金合歡(欢)」なのだが、一般には「洋槐」(正しくはニセアカシアか?)の名で通っているらしい。事実、鄧麗君(テレサ・テン)が切々と唄う「アカシアの夢」の中国題は「洋槐之夢」である由。
閑話休題。九月の声を聞いた途端に色づいた葉の舞い落ちるさまが歌われるのは如何にも秋の早い北欧ならではである。赫尔曼·黑塞が描写する冷たい雨に濡れそぼつアカシア樹の情景は西田佐知子の歌さながら。亜熱帯気候に喘ぐ私たちの九月からは想像もできない。
今日も中国人歌手による「四つの最後の歌」を聴いてみよう。ただしこちらの標題は「最後四首歌」でなく「
四首最后的歌」と漢訳されている。
《著名的管弦乐艺术歌曲 理查・施特劳斯》
理查・施特劳斯:
管弦乐艺术歌曲
解脱
玫瑰色的丝带
小夜曲
万灵节
我带着我的爱
平静, 我的心灵
奉献
亲切的幻影
明天
瑟西莉
四首最后的歌
春天
九月
入睡
在晩霞中
女高音歌唱/陈其莲
迪尔克・布罗塞(Dirk Brossé)指挥
上海歌剧院交响乐团
2010年、上海(「四首最后的歌」是実況録音)
Pavane ADW 7542 (2011)
このCDは版元こそベルギーの会社だが、録音場所も奏者たち(指揮者を除く)の本拠も悉く上海なので、ライナーノーツは英語・中国語のバイリンガル。上に転記した(ひと苦労だった!)のは裏面の曲目一覧である。
周知のとおり、中国では革命後まもなく漢字改革を断行し、煩雑な文字を大幅に簡略化した「
簡体字」を公用に供している。したがって本ライナーもその方式に準拠しており、私たちの目には異様に映る漢字が頻出する。標題の「著名的管弦乐艺术歌曲」を旧来の「繁体字」で記すならば「著名的管弦樂藝術歌曲」。
樂を「乐」、藝術を「艺术」と略記してしまうのだからなんとも大胆。違和感もある。
だからリヒャルト・シュトラウスの漢字名も、昨日ここで紹介した「理察·史特勞斯」という表記は台湾や香港でしか通用しない「繁体字」表記(わが舊字體に該当)であり、中国大陸では「
理查·施特劳斯」と表記するのが本式らしい。「勞」を「劳」と略記するばかりか、漢字の当て方そのものが台湾と中国とで微妙に異なるのだ。
馴染深いシュトラウスの歌曲名も漢字で書くとひどく面妖に感じる。
「
玫瑰色的丝带」とはなんのことかお判りか。「玫瑰」とは即ち「薔薇」、「丝带」は繁体字だと「絲帶」────然り、「
薔薇のリボン Das Rosenband」である。
「
平静, 我的心灵」────「灵」の繁体字は、ええと...たしか...「靈(霊)」の筈だから、そう、「
憩え、わが魂よ! Ruhe,meine Seele!」なのであった。
中国語で「
明天」とは即ち「明日」の意。「今日」ならば「今天」(と大昔、初級教科書で習った)。勿論これは稀代の名作「
あしたこそ! Morgen!」のことだ。
摩訶不思議なのは十曲目の「
瑟西莉」。頭を抱えそうになるが、なんのことはない、これは単なる表音漢字で、「
ツェツィーリエに Cäcilie」と訓ずる。
最後はお目当ての「
四首最后的歌」、四曲の排列は昨日の盤と違い、いつもと同じ曲順だ。ただし個々の題名の漢訳は「維基百科」のとちょっと異なる。すなわち、「春天 Frühling」「九月 September」「入睡 Beim Schlafengehen」そして「在晩霞中 Im Abendrot」と称される。
「眠りに就こうとして」をただ「入睡」と訳してしまっては味気ない、昨日の「就寢的時候到了」のほうがずっと情趣が濃かった。「在晩霞中」の「晩霞」とは夕焼のことだから、「日暮之時」よりも雰囲気がある。
そんな徒し事はさておき、独唱の
陈其莲(陳其蓮)女士は現代中国を代表する女高音歌唱家。ブリュッセルで学び、1988年エリーザベト王妃国際音楽コンクールに入賞、蝴蝶夫人と杜蘭朵姫を当たり役とし、ブリュッセルと上海を往復しつつ活躍中とのことだ。現在は上海音楽院声楽系教授である。このCDと同じ Pavane社から「中国歌曲集」と「普契尼アリア集」のディスクを出している由。
丁寧な歌唱が好もしく、シュトラウス歌曲集として選曲も抜かりない。
ただし肝腎の「四首最后的歌」に関しては、慎重になり過ぎたのか物足りない出来だ。昨日の阮妙芬女士に較べ声質も地味で些か華を欠く。オーケストラの音色が冴えないのと指揮者の解釈が平板なのも災いし、やや聴き劣りする。なかでは「九月」のしみじみ深い秋の哀感がことのほか胸に沁みた。「アカシアの」大連の出身だという陈其莲は金合歡=洋槐樹のなんたるかを熟知しているのだろう。