現在我厭倦了白天
我所有熱切的渴望
當愉快地屈服於星夜之下
像個昏昏欲睡的孩童
雙手 放下所有工作
額頭 忘掉所有想法
我現在
只望沉沉睡去
那被釋放的靈魂
想在天上自在飛翔
飛進夜的魔球
留在裡面直到永遠
あたかも李白か白楽天の詩のように見えるが、さにあらず、これは独逸(德國)のヘルマン・ヘッセ(赫尔曼·黑塞)の "Beim Schlafengehen" という詩の漢語訳なのである。題して「
就寢的時候到了」。「就寝のとき到れり」とでも訓ずるか。
九月になると同名の曲を含むリヒャルト・シュトラウス(理察·史特勞斯)の歌曲集「四つの最後の歌
Vier letzte Lieder」を聴きたくなる。まあ一種の条件反射のようなものだ。今ふと思い立って中国語のウィキペディア(維基百科)を引いてみた。いいよなあ中文は。なにしろこの歌曲集も「
最後四首歌」と称するのだという。
最後四首歌(德文:Vier letzte Lieder)
乃理察·史特勞斯之最後作品,作於1948年(當時他已年屆84歲);該曲專為女高音及樂團所作,但卻要到1950年5月22日才正式於倫敦作首演──首演時由威廉·富特文格勒(Wilhelm Furtwängler)所指揮之倫敦愛樂者樂團演出,並由女高音潔絲汀·弗勒斯達德(Kirsten Flagstad)演唱。可惜的是,史特勞斯本人卻無緣目睹該次首演,因為他已經在1949年逝世。
前々からずっと訝しく思っているのだが、中国語では欧米の固有名詞も悉く漢字で表記される。曰く「赫尔曼·黑塞」「理察·史特勞斯」「威廉·富特文格勒」「潔絲汀·弗勒斯達德」。地の文も漢字ばかりなので埋没してしまわないのだろうか。
それはともかく、今日このシュトラウス最晩年の歌曲集をわざわざ中国語で繙いたのには相応の理由がある。香港生まれのソプラノ歌手(「女高音」と称する由)が独唱した同曲の珍しいアルバムを見つけたからなのだ。とはいっても中国語の歌唱ではない。きちんと独逸語で歌われた正統的な演奏である。
"Per l'amore: Nancy Yuen/ Somtow Sucharitkul"
リヒャルト・シュトラウス(理察·史特勞斯):
最後四首歌
中國民謡:
月光光
一杯美酒
我住長江頭
ソムタウ・スッチャリッタグン(สมเถา สุจริตกุล):
メー・ナーク Mae Naak(แม่นาก)の二つの子守唄
プッチーニ(普契尼):
殿よ、お聞き下さい ~「トゥーランドット」
ある晴れた日に ~「蝶々夫人」
モーツァルト(莫扎特):
涙のほかは何物も ~「皇帝ティートの慈悲」
楽しい日々はどこに ~「フィガロの結婚」
ヴェルディ(威尔第):
ああ、そはかの人か...花から花へ ~「ラ・トラヴィアータ」
女高音歌唱/阮妙芬
ソムタウ・スッチャリッタグン指揮
サヤーム・フィルハーモニー管弦楽団
(Siam Philharmonic Orchestra, วงดุริยางค์สยามฟิลฮาโมนิคออเคสตร้า)
2004年頃、バンコク、タイ文化センター
Orchid Music Partnership OM-0401 (2004)
正直なところ、さしたる期待もなしにターンテーブルに載せた。
ところがどうだ。深い情緒を湛えた格調ある歌声に思わず惹き込まれてしまう。香港出身で倫敦の王立音楽院に学んだという
阮妙芬女士の力量は大したものだ。しかも驚いたことに、歌曲集は通常と異なり「
就寢的時候到了」からいきなり始まる。1950年この歌曲集の弗勒斯達德と富特文格勒による世界初演時の顰みに倣い、由緒ある曲順を敢えて踏襲しているのだ! 冒頭にその歌詞全文の漢訳をわざわざ掲げたのはそういう理由からなのである。
因みにその「由緒ある曲順」とは、現在の刊行譜では三曲目にあたる「就寢的時候到了」を最初に置き、「九月」、「春」(通常の第一曲目)、そして「日暮之時」と続く。この曲順で歌われた録音は、初演時の弗勒斯達德の実況を除いては、その直後の茱莉娜绮(Sena Jurinac)、麗莎·德拉·卡薩(Lisa della Casa)など、極く僅かしか存在しない。その後は费利奇蒂·洛特女爵士(Dame Felicity Lott)が1986年に取り組んだ録音位だろうか。
今ひとつの大きな驚きは、共演したバンコクのオーケストラの予想以上に秀逸な演奏水準である。収録された音から判断する限り、どこにも危なっかしい箇所はなく、シュトラウスの芳醇な響きを充分に伝えている。大したものだ。
指揮の
ソムタウ・スッチャリッタグン(ソムトウ・スチャリトクル)はタイ王室に連なる名家の出だそうで、英米での体験を豊富に有し、奇想のSF作家としての顔ももつ(邦訳もいくつかある)。今や同国を代表する作曲家・指揮者に大成し、サヤーム・フィルハーモニー管弦楽団を創設、バンコク・オペラの芸術監督の要職にある。どこか往時のわが近衛秀麿を彷彿とさせなくもない人物だ。本盤に聴くその指揮ぶりはなかなか堂に入ったもの。シュトラウスの様式感の表出にも抜かりない。
自作オペラ「メー・ナーク(แม่นาก)」初演(2003)の折、ヒロイン役に阮妙芬を招いたというから、このアルバムも恐らくその副産物として制作されたと推察されよう。上述した「最後四首歌」の曲順は果たして独唱者・指揮者どちらのイニシアティヴで決まったのだろうか。
独唱者は香港、指揮者とオーケストラはバンコク
────本盤は東洋人のみの共演で実現した史上初の「四つの最後の歌」録音の栄誉を擔うものだ。ブラーヴィ! 歴史に残るこの快挙が日本人の全く与り知らぬ場所で実現したところに、幾許かの忸怩たる思いとともに、東アジアに吹く新世紀の風を感じずにはいられない。