昨日からの急ぎの仕事を仕上げると慌てて外出、渋谷で四時に約束がある。
少し早目に着いたのでまずは行きつけの店でサンドウィッチと珈琲の軽い昼食。そのあと渋谷区立松濤美術館で「
藤田嗣治と愛書都市パリ」という小さな展示を観る。会場には稀少な藤田の挿絵本がずらり。なかなか壮観である。しかも同じ本を二冊、三冊と並べて展示しているのに感心。こうすることで硝子ケースの書物が「手に取るように」とはいかないまでも、立体的に感じられる。
ただし藤田の挿絵そのものには一向に心そそられないのも事実。「これは欲しいなあ」という魅力的な本は一冊もない。丹念で小器用だが型に嵌りがちな藤田のいつもの限界に気付かぬ訳にいかないのだ。展覧会後半には同時代パリの画家たちの挿絵本をいくつか並べていたが、この部分はいかにも蛇足だし、作品選定もお座成り。あらずもがな。まあ入館料三百円だから文句は云うまい。
時計を見るとまだ三時前。少し早いが東急本店まで戻って上階のジュンク堂で新刊書をいろいろ物色。岩波文庫からショレム・アレイヘムの『
牛乳屋テヴィエ』の新訳が出ている。云わずと知れた《屋根の上のヴァイオリン弾き》の原作小説だ。イディッシュ語からの初訳だという。迷うことなく入手。
そうこうするうちに約束の時刻が近づいてきた。文化村地下の書肆で時間を潰したあと吹抜の広場に出たところで不意に名を呼ばれた。
神奈川県立近代美術館の
籾山昌夫さんだ。お会いするのは2007年に葉山であったカバコフの絵本の展覧会のとき以来だろうか。だとすれば五年ぶりだが、そのときはすれ違いざま会釈しただけ、碌に話もできなかったから、親しくお目にかかるのは仕事でペテルブルグとアムステルダムに同道した旅(珍道中だった!)以来。かれこれ十年になろうか。その頃はまだ学芸員になって日も浅かった同君も今や鎌倉の美術館の日常業務を一手に擔う頼もしいヴェテランである。
今日お目にかかる目的は、ほかでもない、ここ文化村のミュージアムで開催中の「
国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展」を一緒に観ることだ。
この展覧会は開幕早々の八月中旬に足を運んだ。なんの予備知識もなく、いつもの文化村の不甲斐ない催事だろうと多寡を括って出向いた。そもそも特定の美術館名を冠した展覧会に碌なものはないから、さして期待もしなかったのである。ところが一巡して内容の充実に吃驚した。画家レーピンの技量の卓越は云うまでもないが、展示作品の選定眼の確かさ、水も漏らさぬ構成の妙、隅々に行き届いた目配りに感嘆久しうした。かくも秀逸で良心的な回顧展、滅多にない。
立ち寄った売店でカタログを捲ってみて、事の次第をすぐさま諒解した。籾山君が「企画・構成」に当たっておられたのだ。それなら間違いはない、彼こそは学生の時分からずっとレーピンを追い求め、米国留学時もこの画家一筋に探究を深めた真摯な碩学。文字どおり日本における斯道の「第一人者」なのである。
(まだ書き出し)