(承前)
なにぶん八年半も前のことだし、数百枚の絵をいちどきに観たものだから記憶はもはや混濁気味だが、以下の作品はこのときベルリンで確実に実見している。心憶えに売店で入手した絵葉書が今も手許に残っているから間違いない。
マザッチョ/
東方三博士の礼拝
ドメニコ・ヴェネツィアーノ/
婦人の肖像
ピエロ・デッラ・フランチェスカ/
聖ヒエロニムス
ピエロ・ディ・コジモ/
ヴィーナス、マルスとアモル
マンテーニャ/
聖母子
ジョヴァンニ・ベッリーニ/
キリストの復活
カラヴァッジョ/
勝利のアモル
ヤン・ファン・エイク/
ジョヴァンニ・アルノルフィーニの肖像
ヤン・ファン・エイク/
ボードワン・ド・ラノワの肖像
ヤン・ファン・エイク/
聖堂の聖母子
ジャン・フーケ/
エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステパノ
ヘールトヘン・トート・シント・ヤンス/
荒野の洗礼者聖ヨハネ
アルブレヒト・デューラー/
ヒエロニムス・ホルツシューアーの肖像
ヤン・フェルメール/
真珠の首飾りの女
これぞ「イタリアの横顔」と呼びたくなる完璧な
ドメニコ・ヴェネツィアーノ、修復により面目を一新した
ピエロ・デッラ・フランチェスカ。疲労感を滲ます
マンテーニャの聖母子の真実。薄明の薔薇色に染まった精妙な
ベッリーニ。色彩が息を呑むほど瑞々しかった
ヘールトヘン・トート・シント・ヤンス。殆ど常軌を逸した
デューラーの写実の究極。絵葉書を見ているうち生々しい印象がじわじわと蘇ってきた。
だがもし一枚を選ぶならこの絵だろう。実物と出遭えるとは思いもよらなかった。
ぺトルス・クリストゥス/
若い婦人の肖像
この少女像の醸し出す不思議は筆舌に尽くしがたい。顔の部分を拡大してみようか(
→ここ)。奇妙な魅力の源泉は彼女のアーモンド形をした不揃いな両眼にある(
→ここ)。フランドルの貴族階級にはこんなお嬢さんがいたのだろうか。
中学生の頃に画集で見知って以来、四十年近くも懸想してきた女性なので絵の前に佇む感動もまた一入。細密画と呼びたいほどの精緻な小画面、陶器のように艶やかでひんやりした感触のテクスチャーにも震撼する。つくづく凄い絵だなあ。
ぺトルス・クリストゥスは謎の多い画家で生歿年すら判らない。他の作品はどれもこれも鈍く凡庸な出来なのに、この少女像だけが突出した優品というのも奇妙な話だ。ひょっとして誰か才能ある別人の作なのか知らん。
この日はほかに
ティツィアーノや
レンブラント、もう一枚あるフェルメールも観た筈なのだが、とんと記憶にない。もはや目一杯の満腹状態だったのだろう。かてて加えて、当日はどういう理由からか、古代エジプト彫刻の最高峰「
ネフェルティティ王妃の胸像」までもここに展示してあったと記憶する。思いもよらず途轍もない眼福を味わったのである。人生で何度あろうかという夢うつつの体験だった。
三時間の滞在は瞬く間だったような気がする。茫然と絵画館を辞去し、道を隔てたフィルハーモニーの小ホールに赴いて着席したかと思ったら即座に熟睡し、そのまま終演まで目醒めなかった。だから曲目も奏者名もまるで記憶していない。
(明日につづく)