[...] それから、デリアスの音楽に特有な、あのすぎ去った日の思い出にも似て、いいようのない悔恨と郷愁の情緒──管弦楽と合唱のための「海流」などのもたらす不思議な哀歓の世界。まだ私共の耳に入る機会の来そうもない、セシル・グレイが酔うような口調でその神秘的な美をたたえている「日没の歌」や「シナラ」など、デリアスの世界はまだまだ秘められたままである。
──三浦淳史「夏の歌」(1970年代半ば)
『レコードのある部屋』(湯川書房、1979)所収
私事になるが、じつは筆者がダウスンという詩人を知ったのは、このディーリアスの「シナラ」を通じてだった。当時、筆者は中学の三年くらいだったと思う。音楽雑誌に掲載された三浦淳史の文章を読んで、この曲があることを知ったのである。
──南條竹則「エピローグ──ディーリアスとダウスン──」
『悲恋の詩人ダウスン』(集英社新書、2008)所収
南條竹則君から、私家版の『ダウスン詩集』を贈られた。二五・八×一八・三cmの大判で、まっさらな純白のシーツのような表紙に、二八ポで書名、一四ポで訳者名が、一直線のもとに印刷されているのが、とても清楚な感じである。
鄭重な手紙まで添えられていて──他人(ひと)の手紙を無断で引用するのは、エティケットに反することだけど──ダウスンの訳詩集を出版した動機が語られている。「大分以前、《シナラ》のレコードを友人より借りて、そのとき初めてダウスンの詩に接して以来、この詩人が好きになりました。さいわい大学に入って閑もでき、テキストも手に入ったので、おりあるごとに一つ二つと訳してみたのを、一冊にまとめたのが、このささやかな詩集です。名訳というわけにはゆきませんが、よろしければ御覧下さい」。よく和本にあるような、頁と頁が折られている造本のなかに、ダウスンの十篇の詩が現在(いま)の言葉に素直に移されている。
[...]
南條君のような現代の若者が、世紀末の詩人や作曲家に入れ揚げるのは、彼のみに限られた特別なケースなのか、どうかは、つまびらかにしないにしても、心うたれるものが、わたしの心の中にあったのは確かだった。時制(テンス)を過去形にしたのは、彼からディーリアスへの思慕と讃仰をこめた手紙をもらったのは、数年前のことで、当時彼は高校生だった。手紙の末尾に、ディーリアスの《春告げるカッコウ》をリコーダー用に編曲して吹いているといって、その譜面も同封されていた。[...] しかし、わたしは返事を出さなかった。というよりは、どう書いていいものか、途方に暮れたのである。[...]
南條君の『ダウスン詩集』が、添えられた私信といっしょに、手もとに届けられたとき、わたしはディーリアスの《シナラ》のレコードを聴いていた直後だった。偶然のコインシデンスに、いささか心の動転したわたしは、苦手な、私信という形式の返事をしたため、テータテートで会うことをプロポーズした。
──三浦淳史「シナラ」(1980年)
『レコードを聴くひととき ぱあと2』(東京創元社、1983)所収
告白するが、わたしはかつて学生の頃、家の近所の小さな印刷所に依頼して、私家版 "ダウスン詩集" をこしらえたことがある。言うまでもなく内容はひどいもので、稀に古書目録などに載っているのを見つけると、極力入手して焼き捨てるようにしている。
しかし、その訳詩集を見て励ましてくださった方々がいた。当時京都大学で教鞭を執っておられた詩人の大槻鉄男先生と、英国音楽に造詣の深い批評家の三浦淳史先生だった。[...] 今、この拙い訳書をこれら恩ある方々にお見せ出来ないのを残念に思う。
──南條竹則「解説」
『アーネスト・ダウスン作品集』(岩波文庫、2007)所収
いくら恥かしいからといって、焚書にすることはなかろうに、と思わないでもない。
ところで、この早逝した英国詩人アーネスト・ダウソンの絶唱「
シナラ Cynara」については、三年前に少し紹介したことがある(
→あはれシナラよ)。
(明日につづく)