再会した『
つぶやき岩の秘密』、といっても石川セリの同名の主題歌ではなく、今なお未見のままのTVドラマでもなく、新田次郎の原作のことなのだが、恐らく三十数年ぶりに読み直した印象はなかなかに痛烈なものだ。かくも孤独な少年像はそれまでの東西の児童文学にはちょっと類をみないのではなかろうか。
そもそも作中に登場する子供はほぼ主人公ひとりきり、両親は遠い過去に謎の死を遂げ、周囲には彼が心を許せる大人は誰もいない。言葉を交わす級友も皆無である。ほとんど絶望的な孤立無援の境遇なのだが、その状況がいかにも不可避なものだから、読んでいて徒らに同情心を抱かされることはない。彼は独立独歩の、殆どハードボイルドなと呼びたい主人公なのである。そのあたりの設定や筆致からは新田次郎ならではの峻厳な眼差しが彷彿とする。foggykaoruさんの「高潔」という評言は宜なるかな。云い得て妙であろう。
未見なので軽率に云うことはできないが、TVドラマ版ではどうやら主人公には少女の友達がいるようだし、謎解きに「つぶやき岩」に赴く手段が水泳でなくボートに変更され、目的を果たした主人公の次なる行動も原作とは少し異なる。そのあたり脚色に際し手心が加わり、映像化に必要な相応の改変がなされているらしい。とはいうものの、実見した人たちの感想を読むと、原作のもつ芯の強い少年像や真摯な雰囲気はよく保たれているようだ。一度は目にしてみたいものだ(因みに本作品はフィルムで撮られたため奇蹟的に現存し、今はDVDでも観られる由)。
それにしても、この少年ドラマの主題歌に石川セリを起用したのはまさに決定的な判断だった。思うに海を唄わせて彼女の右に出る歌手はふたりといない。デビュー作「
八月の濡れた砂」ほど海の光輝と倦怠をまざまざと現出させた歌はまたとなかろうし、「
小さな日曜日」も「
海は女の涙」も、憂いを帯びた彼女の声がいかに海辺の光景と親近感を醸すかを実感させずにおかない。セリは海の女なのだ。
(まだ書き出し)