1970年代の初め頃だったろうか、文芸書の大手出版社から子供の本がどっと世に出た一時期があったように記憶する。それも既存の童話作家を敢えて起用せず、児童文学と殆ど縁のなかった作家・詩人たち、すなわち「大人の本の書き手」に子供向けの新作を書き下ろさせたのである。相前後して競い合うように出て、ほどなく憑き物が落ちたようにピタリと終熄した...そんな朧ろげな印象がある。
筑摩書房からは「
ちくま少年文学館」、新潮社からは「
新潮少年文庫」なる互いによく似通ったシリーズがほぼ同時期に刊行され、そこに児童書の老舗中の老舗である福音館書店が「
日曜日文庫」をひっさげて参戦したのだったと思う。ちょっと調べてみると、
ちくま少年文学館 (1971~74、78)
辻邦生: ユリアと魔法の都
小松左京: 青い宇宙の冒険
長谷川四郎: ダンダン 海に落ちた話
天沢退二郎: 光車よ、まわれ!
なだいなだ: おっちょこちょ医
金石範: マンドギ物語
新潮少年文庫 (1971~73)
星新一: だれも知らない国で
三浦哲郎: ユタとふしぎな仲間たち
吉村昭: めっちゃ医者伝
伊藤桂一: 遠い岬の物語
阿部光子: 花は来年も咲くけれども
新田次郎: つぶやき岩の秘密
田中澄江: 古城の歌
水上勉: 蛙よ木からおりてこい
戸川幸夫: 進化への航路
結城昌治: ものぐさ太郎の恋と冒険
福音館日曜日文庫 (1976~, 抜粋)
なだいなだ: TN君の伝記
河合雅雄: 少年動物誌
日向康: 果てなき旅
石牟礼道子: あやとりの記
後発の福音館シリーズは石井桃子や神沢利子やボストン夫人の少女時代回想や、科学読物、歴史探訪、ルポルタージュまでを含む間口の広い叢書なので、必ずしも前二者と同日の談ではないが、この「日曜日文庫」発刊そのものが筑摩・新潮両社の児童書への新規参入に促された(むしろ危機感を抱いた?)対抗企画であることはどうやら間違いなさそうだ。
標題を書き連ねるだけで、当時「
ちくま少年文学館」が齎した驚きと期待が想起される。なにしろ作家の顔ぶれが意表を突いていた。SFジュヴナイルの執筆経験があった小松左京はともかく、なだいなだや長谷川四郎の児童文学なんてまるで想像できなかった。第一巻に辻邦生が書き下ろすのも話題性に事欠かない。
結果はどうだったか? 「見るも無残」というのが正直な感想だった。辻邦生も長谷川四郎も子供らに語るべき物語も文体も所有しなかったし、期待した天沢退二郎(宮澤賢治研究の第一人者)のファンタジーは奇妙に錯綜したプロットに辟易し、途中で投げ出した。当時すでにアーサー・ランサムに親炙し、フィリッパ・ピアス、ウィリアム・メイン、フィリップ・ターナー、ローズマリー・サトクリフ、E・L・カニグズバーグらの英米児童文学を熟読中の子供たちが、この程度の「付け焼刃」的な読物に満足する訳ないぢゃないか、というのが偽らざる印象だった。
そう感じたのはどうやら小生だけではなかったらしく、鳴り物入りでスタートした筈の「ちくま少年文学館」は五冊目まで出て俄かに失速し、途絶したまま続かなかった(ずっと後年に出た金石範作品については未詳)。要するに読者の支持が得られなかったのだろう。もはやこのシリーズを懐かしむ人も少ないのではないか。
ただし、ちょっと心残りでもある。何故ならば、既刊本の広告を信ずるなら、同シリーズはこのあと、飯沢匡、石牟礼道子、井上光晴、大岡昇平、小田実、開高健、金井美恵子、木下順二、杉浦明平、野坂昭如、星新一、堀田善衛、安岡章太郎ら「現在活躍中の作家・詩人がはりきって書き下ろす」児童文学の新作を陸続と刊行すると予告されているからだ。いやはや、見果てぬ夢とはこのことだろう。不思議の国のアリスが現代に登場するという大岡昇平の『アリスの忘れもの』、島に出かけた兄妹の冒険を物語る金井美恵子の新作(題未定)なんて、読んでみたかったなあ。
…と、ここまでは長い前置きなのであった。
本題はその対抗馬たる「
新潮少年文庫」のほうである。
こちらの叢書は当初の予定どおり十作品全部が刊行された割に、どういう訳か同時代的記憶がひどく希薄である。星新一を除いて作家のラインナップが些か地味で食指が伸びなかったのか、新刊書として手にした記憶が皆無なのだ。表紙写真には一貫して香月泰男の創った人形が使用されており、それらがサッパリ魅力に乏しかったのも、この叢書の印象を更に希薄なものにしたと思う。
ただし、そこから人気の舞台化作品が二作も出た(《ユタと不思議な仲間たち》と《ブンナよ、木からおりてこい》)のだから、むしろ成功した叢書といえようし、児童文化史上も重要だ。しかし個人的には全く印象に残らないシリーズだった。
唯一の例外は新田次郎の『
つぶやき岩の秘密』(1972)である。
この一冊だけはしばらくして入手したし、一度はざっと通読もした。ただし、当時はさして面白いと感じられず、ひたすら孤独なばかりの主人公像に共感できないまま、取りつく島もない寂しい物語展開に肩透かしを喰らわされる思いだったと記憶する。だから今はもう架蔵していない。
ところが、なのである。
(明日につづく)