旧友Boe君が制作に携わった番組が放映されるというのでTVの前に家人や近所の友人とともに参集した。水俣病と企業責任をめぐるNHKの旧作ドキュメンタリーの再放送なのだが、今日の視点からの「エピローグ」が新たに付加されるらしい。Boeが関わったのはこの部分だろう。
NHKアーカイブス
シリーズ環境 [2]
水俣からの問いかけ
■ 口上
6月「環境月間のシリーズ」2回目は、日本の「公害の原点」といわれる水俣病の問題を改めて見つめる。1956年に公式確認され、この7月末で、水俣病未認定患者救済の申請が締め切られるなど、注目を集めているこの公害病は、チッソの化学工場の廃液に含まれる有機水銀が、魚など自然界の食物連鎖で起きたものである。このような形のメチル水銀中毒は世界初で、「ミナマタ」は世界にその名を知られた。しかし、加害企業であるチッソが責任を認めるまでには、長い歳月がかかった。番組では、戦後50年の1995年に放送されたNHKスペシャル「チッソ・水俣 工場技術者たちの告白」を視聴し、命や安全と企業の問題について、福島第一原発後の視点もあわせて考えていく。水俣を長年見つめてきた石牟礼道子さんや6月11日に亡くなった原田正純さんからのメッセージも交え、環境汚染と人間について現地・水俣から問いかける。
■ ゲスト/姜 尚中 (東京大学大学院教授・熊本出身)
■ 聞き手/桜井洋子
*水俣にて現地収録
半世紀以上も昔、企業が社会的責任の自覚を欠き、「公害」や「環境汚染」の語すら膾炙しなかった頃と、多くの悲惨な体験から教訓を学んだはずの現今とでは時代も人々の意識も全く異なる...かと思いきや、当時の水俣病をめぐる状況と目下の放射能汚染の実態とがあまりにも酷似していることに愕然とする。加害企業の不遜な態度、被害者の孤立無援、行政の無責任、御用学者の介入――問題を取り巻く構図がそっくり瓜二つの相似形を描く。事態は何ひとつ変わっていないぢゃないか。
1995年の元番組はチッソ研究所員が原因究明の寸前まで漕ぎつけながら揉み消された経緯、地元の諸団体が工場排水放出を続けるよう陳情(!)した事実などを、当事者たちの証言を駆使しつつ詳述する。酷い状況に言葉を失うばかりだ。
エピローグに登場した姜尚中氏は組織内の関係者が「そんなはずはない」「こうあってほしい」という先入主や願望に囚われ、正しい判断を下せなかったと指摘し、水俣から多くを学ぶべきだと語った。
この苦い教訓を今にどう生かすのか。番組の問いかけはずしりと重たい。