今日も机上作業の續き。週明けには編輯部に渡さねばならぬから必死の追ひ上げである。流石に消耗した。ここらで一寸息抜き。
餘程の事情が無い限りディスクを増やさぬ方針なのだが、昨日は吉祥寺でついつい其の禁を犯してしまつた。理由は到つて簡單。アルバム・カヴァーの顔冩眞にうつとり見惚れたのだ(
→御姿)。LP時代の輸入盤が同じ此の美貌ジャケットだつた。三十數年振りの再會は何ともお懷かしや。胸きゆん(死語か)と云ふ奴である。
"Martha Argerich plays Schumann"
シューマン:
幻想曲 ハ長調 作品17
幻想小曲集 作品12
ピアノ/マルタ・アルヘリッチ
1976年、ミラノ(Dischi Ricordi スタヂオ收録)
Sony 88697858282 (2011)
此のアルバムが録音された1976年、アルヘリッチは四度目の來日を果たし(内一回は私的なお忍び旅、一回は夫婦喧嘩の果て演奏せずに離日したから來日公演としては1970年以來二度目)、その折の曲目にもシューマンの
幻想小曲集は含まれてゐた(1976年6月12日/東京文化會館)。此の曲はリサイタル冒頭に彈かれ、引き續きラヴェルの
夜のガスパール、リストの
ロ短調ソナタが奏された。その時も痛感したのだが、アルヘリッチの音樂的資質は巷間云はれるショパンよりもシューマンにこそ相應しいものだといふ(今や當然至極の)發見だつた。
半世紀を優に越へたアルヘリッチの錚々たるキャリアを鑑みるに、彼女の獨奏ピアノ曲録音は驚く程に數が尠い。試みに永く專属だつたドイツ・グラモフォン社に於ける公式スタヂオ録音を年代順に列舉すると、
01. マルタ・アルゲリッヒ ピアノ・リサイタル (デビュー盤) 1960
02. ショパン/ソナタ第三番、英雄ポロネーズ ほか 1967
03. シューマン/ソナタ第二番+リスト/ソナタ 1971
04. ショパン/ソナタ第二番、スケルツォ 第二番 ほか 1974
05. ラヴェル/夜のガスパール、ソナチネ、高雅で感傷的な円舞曲 1974
06. ショパン/二十四の前奏曲 ほか 1975/77
07. バッハ/トッカータ、パルティータ第二番、英吉利組曲第二番 1979
08. シューマン/子供の情景、クライスレリアーナ 1983
正眞正銘たつた此れつきりなのである。彼女のやうな當代随一のピアニストがソロ・アルバム僅か八枚と云ふのは餘りにも悲しい。1983年のシューマン收録を最後にアルヘリッチの獨奏録音はぱつたり途絶へてしまふ。理由は正直よく判らない。かてゝ加へて彼女は獨奏リサイタルすら滅多に催さなくなつて疾うに四半世紀が虚しく過ぎ去つた。取り返しのつかぬ損失と云へば正にその通りである。
斯くも嘆かはしい状況だから、1976年に伊太利で收録されたといふ知られざる此の「もう一つの」シューマン・アルバムもまた獨自の價値を有する。
録音時期は上記ドイツ・グラモフォン録音の06とほゞ同期に位置し、專属アーティストだつた彼女に何故に他處での出張收録が可能だつたのか等、事の次第は詳らかでないが、とまれ絶頂期のシューマン録音の存在は何物にも代へ難い。「
幻想曲」「
幻想小曲集」共に瑞々しい想像力の飛翔に富み、アルヘリッチの類ひ稀なる美質を今に傳へてゐる。今回の覆刻で音質も大幅に改善された。萬人の必携盤。