上京したら思いのほか帰宅が遅くなった。このまま就眠してしまうのも癪なので昨夜のディーリアスのCDを再び。「
海流(海の彷徨/藻塩草)」の素晴らしさをひしひし感得した。大仰な絶唱を努めて回避し、深く沈潜するスタイルを貫く姿勢がなにより好もしい。それでいて魂の慟哭が自ずと伝わってくる演奏なのだ。独唱のハンプソンも指揮のヒコックスも申し分ない。もちろん合唱も秀逸。
聴きながら本体の "BBC Music Magazine" をあちこち拾い読み。
ディーリアスは決してブリティッシュ・コンポーザーではない、「
彼は正真正銘のコズモポリタンだったのだ」と喝破する当代随一の研究家リンドン・ジェンキンズ氏の寄稿文は味読に足る内容だ。そのほか、閨秀ヴァイオリニスト、タズミン・リトル女史のインタヴューにもディーリアスへの言及がある。「(ディーリアスのヴァイオリン協奏曲を)
一言で要約するのは難しいわ。どんな言葉があるかしら。夢見るよう? 幻想的? 私がこの複雑さを愛する理由は、それが他と比較しようがないところなの。響きがなんとも多彩で」。新譜レヴュー中にもディーリアスがちらほら。流石に節目の年だけのことはある。
最も驚きだったのは上記ジェンキンズ論考に挿図として載ったエリック・フェンビーの写真(p.58)。書斎で寛ぐ翁の傍らには巨大な朝顔型の喇叭の付いた旧式蓄音器が鎮座する。キャプションに拠るとディーリアス遺愛の品なのだという。なんとそれは、かのケン・ラッセル監督のTV映画《
夏の歌 Song of Summer》(1968)に登場する蓄音器と全く同じものなのだ(
→映画の一場面)。
いやはや驚いたのなんのって。真実をあくまでも追求する監督はフェンビーからこの貴重な遺品をわざわざ借り出して撮影に臨んだのに違いない。