数日後、いよいよ作曲の口述筆記が開始された。ディーリアスが旋律を歌い、フェンビーがそれを五線譜に書き写していくという、気の遠くなるような作業だ。
「タータター、タータター、タータタター、書き留めたまえ! タータタタター、タータター、タター・・・」
耳障りな大声。しかもそれは高低がまるでない一本調子なのだ。フェンビーは必死に聴き取ろうとした。「何調なのですか?」「イ短調」。遅れをとるまいと躍起になるあまり、彼はペンを逆さに持ってしまう。インクで手が真っ黒になり、眼には涙が溢れてきた。「ごめんなさい。もうできません! 僕を許して下さい」。フェンビーが泣き叫びながら部屋から飛び出すのと同時に、心配したイェルカ夫人が駆け込んで来た。
フェンビーの背後でディーリアスの怒鳴り声が聞こえた。「イェルカ、あの子は駄目だ。のろますぎる。簡単なメロディも書き取れやしない!」
その晩、フェンビーがほとんど一睡もできなかったのは言うまでもない。
翌日、打ちのめされ、すっかり意気消沈した彼の許にイェルカ夫人がやってきた。
「フェンビーさん、貴方はここで主人を助けてあげられるただ独りの音楽家です。私には何の音楽的知識もないので、貴方の感じ方が正しいかどうか判らないけれど、私は貴方を信じます。ご自分の若さを武器に、主人に立ち向かって行って下さい。私はいつも貴方の味方ですからね!」
フェンビーが勇気を奮い起こして、再び助手としての仕事に立ち戻ったのは、この夫人の励ましのお蔭であった。
彼の手元にはディーリアスから託された手書きの楽譜があった。それはもう十年も前に着手された交響詩『生と愛の詩 Poem of Life and Love』の草稿だったのだが、フェンビーは一読してみて、その出来の悪さに落胆した。でも、このことをどうやってディーリアスに伝えたらよいのか。
夫人の言葉に平静さを取り戻した彼は、思い切ってディーリアスに本音をぶつけてみた。老作曲家は一瞬憮然とした表情を見せたが、すぐに気を取り直すと、真剣な面持ちでフェンビーの意見に聞き入った。「判った、フェンビー。この草稿から良い部分だけを抜き出し、それを君自身で組み立ててみてくれないか。急がずに、じっくりとね」
ディーリアスによれば、本当の傑作とはそれ自身のなかから自然に生まれ出てくるものだという。その例として、彼は自作『海流 Sea Drift』(1903年)を挙げる。「あれは私の最良の作品のひとつなのだが、何の苦もなくやすやすと、いわばひとりでに私の手から産み落とされたものだ」
『生と愛の詩』が息を吹き返し、〈ひとりでに〉動き出すには、恐らくかなりの時間が必要となるだろう。 ――拙著『12インチのギャラリー』 最終章「夏の歌」より視力と四肢の自由を奪われ、パリ近郊に隠棲する
フレデリック・ディーリアス。この気難しい老人の許を作曲家志望の青年
エリック・フェンビーが訪れ、困難な協働作業が始まる。その最初の口述筆記の場面である。
もう二十年以上も前の作文だが、フェンビー自身の回想録『私の知ったディーリアス Delius As I Knew Him』を参照しつつ、その忠実な映像化であるケン・ラッセル監督のTV映画《夏の歌 Song of Summer》の鮮やかな描写を思い浮かべながら夢中で書いた。熱に浮かされたようにワープロに向かった日々を懐かしく思い出す。なんだか「これだけは書かないと気が済まない」という心持ちだったのだ。
長々と拙文の一節を引いたのには理由がある。たまたま渋谷で目にした音楽雑誌 "BBC Music Magazine" の最新号が「今月の作曲家」としてディーリアスを特集し、こんな素敵なCDを附録にしたからだ。
"Delius: Sea Drift, Piano Concerto, Poem of Life and Love"
ディーリアス:
海流*
ピアノ協奏曲(改訂版)**
生と愛の詩**
バリトン/トマス・ハンプソン
リチャード・ヒコックス指揮
BBC ウェールズ・ナショナル管弦楽団&合唱団、バッハ合唱団*
ピアノ/ベンノ・モイセイヴィチ
マルコム・サージェント卿指揮
BBC交響楽団**
ヴァーノン・ハンドリー指揮
BBCコンサート管弦楽団***2004年7月19日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール(プロムズ実況)*
1955年9月13日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール(プロムズ実況)**
1999年3月1日、ロンドン、ゴールダーズ・グリーン、ヒポドローム(世界初演)***
BBC Music BBCMM345 (2012)
ディーリアスが晩年「あれは私の最良の作品のひとつ」と述懐したという傑作「
海流(海の彷徨/藻塩草)」と並んで、フェンビー青年が「その出来の悪さに落胆」し、「良い部分だけを抜き出し」た末、「夏の歌」として再生した原曲「
生と愛の詩」が一枚のアルバムで聴ける。それだけでも夢のような企てなのだが、BBCは更に貴重なモイセイヴィチ独奏によるピアノ協奏曲の実況録音まで加えて生誕百五十年の記念アルバムとした。ヒコックス、サージェント、ハンドリーという、些か陽の当たる機会の不当に尠ない古今のディーリアンが三役揃い踏みするのも床しいことだ。
因みにこの「生と愛の詩」は「夏の歌」の陰に隠れてしまい、久しく忘却されてきた幻の作品だ。今ではロイド=ジョーンズの指揮した初録音CDで聴けるようになったが(そのレヴューは
→念願の「生と愛の詩」を遂に聴いた)、今回このディスクに収録されたハンドリーの演奏はほかならぬ、その世界初演のときのものだ。なるほど確かにこの交響詩は些か纏まりを欠くとはいえ、「学生か誰かがディーリアスの作風を真似て書いたような代物」とフェンビーが酷評するほど不細工な曲ではない。今回のライナーノーツを引くなら、「これはこれとして聴くに値する」ものだし、「世界を放浪した作曲家の、ニーチェばりの活力が横溢する」音楽なのである。