明日は早起きなので心静かにそろそろ就眠しよう。今夜の枕元の供はひっそり玄妙な
ドメニコ・スカルラッティのソナタ集。改めて申すまでもないが「ソナタ」とはきりり小股の切れ上がった珠玉の小品のことだ。だから構えて聴くには及ばない。
"Mûza Rubackyté: Scarlatti"
スカルラッティ:
ソナタ集
K1, 6, 8, 9, 11, 19, 69, 96, 141, 159, 162,
198, 377, 446, 466, 491, 492, 513, 519
ピアノ/ムーザ・ルバツキーテ
2000年3月20~23日、マルセイユ、サル・ブランシエール
Lyrinx LYR 201 (2002)
見るからにリトアニア女性らしい苗字だなと思ったら、やはりそうだ、彼女はかなり昔チュルリョーニスのピアノ曲選集のCDを二枚出したことがある(Marco Polo/ 今はNaxos に移行)。そう気付くと俄かに馴染深い人に思えてきた。
スカルラッティのソナタはとんと不案内なのが恥ずかしい。クラヴサンによる原典版もスコット・ロスの全曲集で聴いたものだが疾うに手放した。未だにクララ・ハスキルの太古の演奏を懐かしむという程度の新参者。このディスクもついさっき書庫からひょっこり出現した。いつ手に入れたのかも思い出せない。
ルバツキーテのピアノは実直そのもの、音に芯があるのが却って仇になったのか、残念ながらスカルラッティのこの世ならぬ風情を醸さない。いや、こういう地に足の着いた演奏があっても構わないのだが、小生の頭のなかにはハスキル女史のあえかな夢うつつの気配が未だ色濃く漂っているものだから、あくまでもピアニスティックなスカルラッティにはどうしても心を許せないのだ。狭量なのだろうか。