夕暮近い大隈講堂前の広場を長蛇の列がのたうつ。数百人はいるだろうか。今や遅しと開場を待つのは申し合わせたかのように五十代後半から六十代前半とおぼしき初老の男女ばかり。今は昔、青山のVAN99ホール前の路上に並んだジーンズ姿の学生たち、新宿の紀伊國屋ホールの通路にしゃがみ込んだ熱狂的な若者たち。同じその連中の三十数年後の成れの果て(?)なのだろうか。
さいもの広い講堂も中高年で満員鮨詰状態になる。七時きっかりに始まったのは「座談会
つかこうへいの70年代」という催しだ。
風間杜夫、
平田満、
根岸とし江(今は「季衣」と名乗る)が登場すると満場から割れんばかりの拍手。そりゃそうだ、時代のアイドルだった人たちだもの。司会の扇田昭彦氏に導かれ、三人はこもごも故人である恩師の思い出を語る。
初期の芝居が如実に示すように、つかこうへいは詭弁の達人だ。科白では本音と建前が目まぐるしく交錯し、強がりとハッタリと言い逃がれと見え透いた嘘が綯い交ぜになる。身近に接した三人の語るつか当人の素顔もまさにそれで、矢鱈と自信満々を装い、偉そうに先輩風を吹かせた。作中人物そのままの屈折ぶり。
未経験のまま劇団に入った平田、根岸は「そういうものか」と唯々諾々と従ったが、子役時代からキャリアを積んできた風間は違った。台本もなしに稽古に入り、その場で台詞を伝授する「口立て」芝居には当初は戸惑うばかりだったそうな。
全く存在しないと云われてきた70年代の劇団「つかこうへい事務所」の動く映像を断片的ながら観られたのは眼福である。とりわけ1975年春、VAN99ホール初演時の「
ストリッパー物語」。普段着で会話していた根岸とし江に突如スポットライトが当たり、鳴り出した欧陽菲菲「雨の御堂筋」に合わせ妖艶なダンス(脱がないストリップ)が始まる場面とか、どういうはずみか高野嗣郎がいきなり全裸になって鞭をふるうという奇想天外な場面とか、ジャージ姿の三浦洋一が所在なげに舞台をうろつく場面とか、「おゝ、たしかにそうであった」と太古の記憶がまざまざ呼び醒まされる。ホールのスタッフがこっそり収録したというモノクロ8ミリ映像はピントがぼやけ、ハレーションだらけ。表情の細部はまるで映っておらず、何が何だかわからぬ代物だが、実際その場に居合せた者には往時を偲ぶ唯一無二のよすがなのだ。
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