またも上京し帰宅が遅くなった。だが眠る前にちょっと聴きたい曲がある。五月五日だから、という理由ばかりぢゃないのだが。
"Golovanov vol. 2"
ボロディン:
交響曲 第二番*
プロコフィエフ:
ペーチャと狼 Петя и волк**
リムスキー=コルサコフ:
貴族たちの行進 ~「ムラーダ」***
グリンカ:
幻想的円舞曲****
ラフマニノフ(ブランコフ編):
ヴォカリーズ*****
語り/ヴェーラ・マレツカヤ Вера Петровна Марецкая**
ニコライ・ゴロワーノフ Николай Семёнович Голованов 指揮
モスクワ放送交響楽団* *** ****
ソヴィエト国立交響楽団**
モスクワ放送交響楽団チェロ奏者十人*****1947、1947、1946、1949、1945年、モスクワ
Grand Slam GS-2004 (2001)
冒頭のボロディンの誇張された表情や恣意的なテンポにうんざりするが、当アルバムの価値はその次の「
ペーチャと狼」にある。「ピーターと狼」ならぬ「ペーチャと狼」、すなわちオリジナルのロシア語ナレーションを伴う史上初の録音である点に価値がある。戦後間もない1947年、ソ連での稀少な演奏記録なのだ。
主人公はロシアの少年とわかっているのに彼の名を「ピーター」と呼び慣わすのは何故なのか。それは同曲の最初期の録音が米国で三つたて続けに出たという事実と恐らく無関係ではないだろう。ナレーションは当然ながら英語版である。
1939年4月12日録音 指揮=Serge Koussevitzky 語り=Richard Hale
1940年3月録音 指揮=Alexander Smallens 語り=Frank Luther
1941年7月11日録音 指揮=Leopold Stokowski 語り=Basil Rathbone附言するなら最初の映像化も米国でなされた。監督は勿論ウォルト・ディズニー。
1946年8月15日封切 短篇 "Peter and the Wolf"
語り=Sterling Holloway
~オムニバス・アニメーション映画 Make Mine Music 第七部こうして列挙すると、第二次大戦を挟む期間、米国で「ピーターと狼」が逸早く大衆的な人気を獲得する過程がくっきり浮かび上がってくる。プロコフィエフの平易な音楽が国境を越え愛されたということもできようが、その背景には米ソが連合国同士だったためソ連の同時代音楽が優遇されたという裏事情も絡んでいよう。名うての反共主義者ディズニーがプロコフィエフの要請(両者は1938年2月28日ハリウッドで面談した)に応じて最初のアニメ化を実現したというのも歴史の皮肉だろうか。
ディズニーのアニメ映画を含め、ここまでの米国でのナレーターがどういう訳か申し合わせたように全員男性というのも些か奇妙な現象である。1938年にボストン交響楽団が作曲者の指揮で米国初演された際(3月25、26日)にリチャード・ヘイル(クセヴィツキー盤の朗読者)が起用された顰みに倣ったのだろうか。まさかね。
それはさておき、ここで聴くのは本家本元のソ連での初録音である。クセヴィツキーの後塵を拝すること八年、ディズニーのアニメにすら遅れをとった訳だが、当時のソ連の困難な録音事情を考慮するなら仕方のないことだろう(当時、プロコフィエフやショスタコーヴィチの交響曲の世界初録音は悉く米国に先を越されている)。とにかくプロコフィエフの生前に「ペーチャ」のディスクが出たのだから良しとしよう。
ニコライ・ゴロワーノフの芸風はプロコフィエフとは全く水と油に思えるが、1927年に歌劇「三つのオレンジへの恋」をボリショイ劇場で初めて指揮したのは彼だったし、あの悪名高いスターリン讃歌「乾杯」の世界初演(1939年12月21日)もゴロワーノフがタクトを執った。サモスードほどではないにせよ彼なりにプロコフィエフ解釈に一家言ある指揮者だったのだろう。因みにゴロワーノフの生歿年(1891~1953)はプロコフィエフときっかり同じ。その割には古風で大仰なスタイルの芸風というほかない。
ところが大方の予想に反してゴロワーノフの「ペーチャと狼」は穏やかで抑制のとれた好もしい演奏である。随所に生き生きとした表情が漲るが、奇矯なデフォルメや大仰な表情過多はどこにもない。規範的な名演といってよかろう。
この重要な録音のCD化は本盤が世界初、今なお唯一無二の音源なのである。だから倫敦のプロコフィエフ・アーカイヴにも収蔵されている。稀少なSP盤を発掘し、自らのレーベルから覆刻した平林直哉氏の大手柄なのだ。
ここでナレーションを務める
ヴェーラ・マレツカヤは元のSP盤のレーベルには "В. П. Марецкая" とあるばかりだが、察するに戦前から戦中にかけソ連で絶大な人気を博した映画女優ヴェーラ・ペトロヴナ・マレツカヤ(1906~1978)その人だろう。ボリス・バルネット監督の無声喜劇の秀作《
トルブナヤの家 Дом на Трубной》(1928)でヒロインの田舎娘を瑞々しく演じた彼女である(
→この人)。
実を云うとソ連初の録音なのだから本来ならナレーションは別の人物が担当するのが筋だった。その任に最も相応しい女性がいたのである。だが運命はそれを許さなかった。何故なら彼女は当時モスクワに居なかった。スターリン粛清の標的とされ、死罪は免れたものの、五年間に及ぶ過酷なシベリア強制労働ののちカザフスタンのアルマ=アタに追放中の身だった。明日はその話をしよう。