今日は代々木公園を起点とする脱原発集会とデモがあり、友人たちはこぞって参加するという。小生もまた合流するか否か朝方まで大いに思い迷った挙句、やはり当初の予定どおり葉山の神奈川県立近代美術館を目指した。今日から始まる展覧会「
すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙」の初日をどうしても逃す訳にはいかないのだ。村山知義は永くわが鍾愛の画家であり、その初めての大回顧展の開催をずっと鶴首して待ち望んでいたし、今回たまたま拙コレクションからも少なからぬ作品・資料を貸し出した事情もあり、それらが展示にどう生かされたかを一刻も早く実見したかったのだ。苦渋の選択だし、強く後ろ髪を引かれる思いである。
その声価の高さに比して村山知義の回顧展がこれまで一度も催されなかった理由は明らかだろう。仕事の総量が恐ろしく厖大で、しかもジャンルが絵画・コラージュ・雑誌編集・舞踊・パフォーマンス・舞台美術・劇演出・建築・写真・映画・宣伝美術・書籍装丁・小説・児童書(絵本と挿絵)・アニメーション… と余りに多岐に亙っているため、個々の業績を正当に位置付け、生涯を包括的に展望するのはどんな研究者にも至難の業なのだ。彼の八面六臂の活躍は美術館の展示室の枠組を疾うに凌駕してしまっている。誰だって二の足を踏もうというものだ。
列車三本とバスを乗り継いで美術館に到着したのは午後一時少し前。まず海を見下ろす中庭で一服したのち外套と荷物を預けて展示室へ。
展覧会は以下の五部分から構成される。
I 前兆:1920
II 伯林:1922
III 沸騰:1923-1931
IV こどもたちのために:1921-1976
V その生涯:1901-1976
回顧展の要が第三部にあることは標題からも明らかだ。「意識的構成主義」に拠る奇怪なアッサンブラージュの作者として、尖端的な反芸術標榜者「マヴォイスト」として、築地小劇場の途轍もない舞台装置作者として、破天荒な舞踏パフォーマーとして、奇抜な形状と意匠を備えたアトリエや美容室の建築設計者として、文字どおり世間を瞠目させた「沸騰する」若き村山知義こそが本展の真の主題であることは疑いない。ところがその驚くべき成果の大部分は現存せず、不鮮明な写真や同時代の証言や回想のなかにしか伝わらない。展示すべき作品を殆ど欠いているところに「アヴァンギャルディスト」村山を展観するうえでの最大の困難がある。
(まだ書き出し)