1月29日。今日は
フレデリック・ディーリアスの百五十回目の誕生日。この日を祝ってサウスバンクで記念演奏会が催される。永年に亙るディーリアンとしてはこの機を逃すべからず。千里の道をものともせず英京まで駆けつけたのは、ほかでもない、この催しのためだったのである。
これまでの人生を思い返すとディーリアスのアニヴァーサリー・イヤー(記念年)は生誕百年の1962年、歿後五十年の1984年の二度あった。ただし前者はまだ十歳で音楽を知らなかったし、後者は生活に追われ外遊どころではなかった。歿後五十年祭に参加された三浦淳史さんの報告記事を羨ましく読むのが関の山。まるで縁がなかったのだ。2012年はやっと逢着した「三度目の正直」なのである。
昼食を済ませ徒歩でサウスバンクに到着。まずは売店でCDを物色し、"Essential Delius" という二枚組を購入。EMIの過去音源アンソロジーだが、記念日当日なので思わず手に取ってしまう。ロビーをしばらくぶらついていたら開演時間が近づいてきた。心して席に着く。
"Delius 150th Anniversary"
Royal Festival Hall
29 January
15:00-
ヴォーン・ウィリアムズ:
揚雲雀*
ディーリアス:
チェロ協奏曲**
ブリッグ・フェア
エルガー:
謎の変奏曲
ヴァイオリン/ジョルト=ティハメール・ヴィゾンタイ*
チェロ/ジュリアン・ロイド・ウェッバー**
アンドルー・デイヴィス卿指揮
フィルハーモニア管弦楽団
小生の知る限り、誕生日当日を祝う演奏会は世界中でこれきりであるらしい。どうせなら「オール・ディーリアス・プロ」を敢行して欲しかったところだが、常套的な曲目編成で知られるフィルハーモニア管弦楽団としてはこれが精一杯だろう。とはいえ前半に(ヴァイオリンを独奏とする)VWの「揚雲雀」とチェロ協奏曲、後半はディーリアスとエルガーの両変奏曲が並置されるという、それなりに考え抜かれたプログラムだ。
VWの「雲雀」は協奏曲ふうの断章。独奏ヴァイオリンが甚だ見事である。この楽団の首席奏者だそうで、練り上げられた抒情的な音色をしみじみと響かせる。寄り添うフィルハーモニアのアンサンブルも極上。
ディーリアスの
チェロ協奏曲を生で聴くのはこれが初めてだ。しかも同曲を得意とするロイド・ウェッバーの独奏というのが嬉しい。流石に彼はこの曲を隅々まで知り尽くしており、テンポも歌い回しも、「こうするほかない」という確信が漲る。作品へのあからさまな耽溺は避けられ、冷静な距離感を保ちながら、清潔なニュアンスと程よい情緒が滲み出る好もしい演奏。それにしてもディーリアスの協奏曲は形が見えず、単一楽章が延々と続いて終わらない。醒めそうで醒めない夢心地がどこまでも引き伸ばされる感じ。まあ、それこそがディーリアスなのだが。
休憩後の「
ブリッグ・フェア」も実演は初めてではなかろうか。冒頭で主題が提示されるや、先日の旅で車窓から眺めたなだらかな英国風景が否応なく脳裏に去来する。言うまでもなくブリッグはリンカンシャーの地名であり、まあ条件反射といえばそのとおりだが、それほどまでに音楽がエヴォカティヴだということか。デイヴィスの指揮は細部には拘泥せず大まかな流れを作り、あとは奏者の自発性に委ねる流儀のようだが、フィルハーモニアの奏者たちは実によく反応していた。木管奏者たちのソロの美しさといったら!
夢うつつのまま最後の「エニグマ」変奏曲がいつしか始まっていた。流石に英京の管弦楽団で聴くこの曲は堂に入ったオーセンティシティが横溢。エルガーのユニークな管弦楽法を堪能する。そういえば前にもこのホールで同じオーケストラの「エニグマ」を聴いた。指揮者はヒコックスだったっけ。 今日のデイヴィスも悪くない。英国では長老格の指揮者がいないので、彼にはディーリアスやエルガーでもうひと頑張りしてもらわねば。今日の「エニグマ」ではホール正面のオルガンに奏者が坐ったので荘厳な末尾を期待したのだが、舞台近くに陣取った小生にはオーケストラの大音声にかき消されてオルガンは少しも聴こえず。このホールのオルガンは見た目もみすぼらしいが、音も貧弱なのだ。残念だなあ。
17時少し前に演奏会は終わったが、多くの聴衆はそのままサウスバンクに居残って時を過ごした。なぜなら演奏会には続きがあるからだ。
Southbank Centre presents
Song of Summer: Frederick Delius
Queen Elizabeth Hall
19:00-
ケン・ラッセル監督作品
《夏の歌》
1968年
BBC
ディーリアスの生誕百五十年日の当日にケン・ラッセル監督の伝記映画《夏の歌》をスクリーン上映し、ゲストに監督自身を迎えるという計画が発表されたのは、昨夏のことだったろうか。これを知った時点で、わが訪英は半ば決定したも同然だった。
1970年NHKがTV放映したのを観て以来、この映画が小生の「わが生涯の一本」である所以はここで何度となく繰り返し述懐した。惜しいことに監督は昨11月に急逝されたため今宵の臨席は叶わず、期せずして追悼上映会になってしまったのが返す返すも残念だが、それでもディーリアスの誕生日に倫敦でこの映画を観られるとあれば馳せ参じずにはいられない。
この映画をスクリーンで観るのは三度目だろう。ヴィデオでもDVDでも架蔵する作品なので、流石に新たな発見こそないが、このフィルムが数ある伝記映画に類をみない唯一無二の傑作であることを改めて実感した。これほどまでに痛烈に、切実に肺腑を抉る芸術家ドラマがまたとあろうか。
(まだ書きかけ)