1月19日、倫敦滞在二日目。ロイヤル・アカデミーに赴く。
お目当ては "Building the Revolution" なる小企画展。22日に終わってしまうというので慌てて足を運んだ次第。ロシア革命後のソ連建築とアヴァンギャルド美術の交感に光をあてた内容というから興味津々である。
中庭に入るや、ヴラジーミル・タートリンの「
第三インターナショナル記念塔」模型が聳え立つのが目に入る。今回の展覧会用に復元されたのだという。全長十メートル。見上げるほどの高さだが、これでもタートリンが構想した塔の四十分の一のスケールだというから驚く。
いざ展覧会場に赴こうとすると、ちょうど折悪しくデイヴィッド・ホックニー近作展の初日だとかで正面玄関は大混雑、切符売場で一時間も待たされる破目に。当地のホックニー人気の凄まじさに驚かされた次第。
さて意中の展示はいかにも小ぢんまりした規模で、しかも建築展の通弊で、そこには現物がないため隔靴掻痒の感は否めない。
展覧会構成は、一方にタートリン、ロドチェンコ、リシツキー、ポポーワらの構成主義の「建築的」素描を並べ、他方に1920~30年代初頭のソ連建築の実例(1990年代に Richard Pare が撮った建築写真。素晴らしい!)を配するという仕掛け。両者の同時代的共振を明らかにしようという意図は明確なのだが、これらを同じ「建築」というタームで括るには双方の成果には大きく隔たりがあるように感じられてならない。前者があくまで想念としてのユートピア建築であるのに対し、後者は現実の社会主義建設の端的な現れだ。夢と現実の齟齬といったらいいか。
唯一これは凄いと思ったのは、モスクワに現存する「
シャボロフカ電波塔」という鉄骨製のタワー(ヴラジーミル・シューホフ設計、1922)。内戦下の材料不足で当初予定の高さ三百五十メートルの半分にも達しなかったが、それでもこれは革命期の若々しい精神を今に伝える壮大なモニュメントである(
→これ)。この塔がタートリンの夢想した記念塔とよく似ているのは偶然ではなかろう。
展覧会の最後を締め括るのはモスクワの赤の広場に建つ「
レーニン廟」。新社会の誕生を夢見たアヴァンギャルド期のソ連建築が禍々しい20世紀のマウソレウムを産み出したという歴史の皮肉に、背筋の寒くなる思いを禁じ得ない。
ホックニー展を観る気力も体力もないのでアカデミーを退出。ひとまず宿に戻ってシャワーを浴びたあと
バービカンへと赴く。一年前の訪倫時には訪れなかったので、この複合文化施設に足を踏み入れるのは四年ぶりになろうか。今夜はここのホールでBBC交響楽団の定期公演がある。
会場に着くと張り紙があって指揮者の交替が告知されている。予定されたトーマス・ダウスゴー(Thomas Dausgaard)が病気につき急遽アンドルー・ゴーレイ(あるいはゴーリーか、Andrew Gourlay と綴る)が振るのだという。やれやれ。
The Barbican Hall
19 Jamuary 2012
19:30-
アンドルー・ノーマン:
アンスタック Unstuck (英国初演)
ブリテン:
ヴァイオリン協奏曲(改訂版)*
ショスタコーヴィチ:
交響曲 第十番
ヴァイオリン/ダニエル・ホープ*
アンドルー・ゴーレイ指揮
BBC交響楽団
前から発表されていた演目に変更はない。英国初演を含む難曲揃いのプログラムを引き継ぎ、短期間で習得したピンチヒッターの労は讃えられていい。とりわけ滅多に聴けぬブリテンの協奏曲は、夢幻的でとりとめのない音楽なのだが、緊張感を絶やさず保ったのは偉とするに足る。独奏者ホープも実演を初めて聴くが、線の細い美音がこの曲には実に似つかわしく、心を奪われる霊妙な瞬間が頻出。
休憩後のショスタコーヴィチの十番もまあ悪くない。一時間近い長丁場を破綻なく乗り切ったが、それ以上でも以下でもないという印象。こうした大作になると、指揮者の解釈の弱さ(というか、急場凌ぎ故の底の浅さ)が露呈する。全奏者が一丸となった大熱演ではあるが、それだけではどうにもならぬ手強い音楽なのだ。
ちょっと残念な結果だったが、まあいい、そういう日もあるのさ。
それにしてもバービカンの心和む居心地の良さはどうだ。早めに着いて展覧会を観るも、軽食を摂るも、ロビーで談笑するも、喫茶するも思いのまま。それに引き較べ、わがニッポンはどうしてこういう施設づくりができないのだろう。先日たまたま訪れたトーキョーの新国立劇場のロビーたるや殺風景そのもの、火葬場さながら心の凍りつく非人間的な空間だった。レーニン廟のほうがずっと居心地いい。