根をつめてデスクワークの一日。気がつくともう夕暮時だ。冬至の頃より日没がやや遅くなった気がする。西の空は茜色の諧調に染まり、富士山がくっきり紫色に浮かぶ。息を呑むほどの美しさ。いつも同じ感想になるが、まさしく加藤泰の映画のよう。
ディーリアスはちょっと小休止して、昨年末に届いた箱物から少しだけ聴いてみる。
"Willem van Otterloo: The original recordings 1951-1966"
スメタナ:
歌劇『売られた花嫁』序曲 1*
歌劇『売られた花嫁』ポルカ、フリアント、道化師の踊り 2*
フランク:
交響詩「アイオリスの人々」3
交響曲 3
シューベルト:
交響曲 第五番 4*
ブラームス:
大学祝典序曲 5*
ワーグナー:
ジークフリート牧歌 6*
サン=サーンス:
交響曲 第三番 7*
フランク:
交響詩「プシュケ」8*
ウィレム・ファン・オッテルロー指揮
ハーグ・レジデンティ管弦楽団 1, 2, 4, 5, 7, 8
オルガン/フェイケ・アスマ 7
オランダ室内合唱団 8
アムステルダム・コンセルトヘバウ管弦楽団 3
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 6
1966年1月5日
1、3日
2、1964年1月7~12日
3、1960年5月18、19日
4、
1953年12月23日
5、1951年6月18~25日
6、1954年4月2、3日
7、
1954年10月21日
8、
アムステルダム、コンセルトヘバウ楽堂
1-5, 7, 8
ベルリン、イェズス・クリストゥス聖堂
6
Challenge CC72383 (2010)
全七枚組のなかから拾い聴き。分量的にはこれでやっと三枚分になろうか。どれもこれも入念に仕上げられた秀演ばかりなのに驚嘆を禁じ得ない。オッテルローとはそういう指揮者だったのだ。
ウィレム・ファン・オッテルローには奇しき縁を感じている。それについてはもう繰り返さない。五年前に書いた拙文をここに並べておく。
→オランダの客人
→オッテルローとその息子
→探しものはなんですか
→ヴァーサタイルな燻し銀
→こんな筈ではなかった…
→さまよえるオランダ人
→フェニックスは灰から甦る
冒頭のスメタナからして心が躍る。展開に無理や誇張がなく、音楽的な筋目が通っている。気品があって端正で、隅々まで神経が行き届いている。作為を排したイン・テンポの音楽なのに、一瞬たりとも単調さに陥りはしない。端倪すべからざる才能だ。こんな指揮者が今の時代にいてくれたらなあと心から思う。
とりわけフランクが素晴らしい。自在な音楽とはこのことだ。「プシュケ」を聴くのはLP時代以来だから二十年ぶりか。合唱の入った全曲版なのが嬉しい。そしてサン=サーンス。淀みのない透明感と疾走感はちょっと比類がないものだ。一体フランスの指揮者の誰がこの「軽やかな壮大」を現出できたろうか。これらをかつて愛聴したときのアメリカ盤のジャケットを懐かしみつつ聴いた(
→これ、
→これ)。
「*」を附した演目はすべて初CD化されたものだ。このセットにはベートーヴェンの「第五」「田園」、ブルックナー「第七」まで収録されていて、聴く前から胸が高鳴る。フェニックスは滅びないのだ。