(承前)
今日これから聴いてみたいのは、ディーリアスのチェロ協奏曲を含むアルバムである。小生にとってこれはビーチャム卿の「デリアス/管弦楽作品集」、バルビローリ卿の「英国音画集 English Tone Pictures」に次ぐ三枚目のディーリアスLPだった。購入は1971年4月5日、神田神保町を散策中に古本街の小さな輸入レコード店「ミューズ社」でたまたま見つけたものだ。独奏は
ジャクリーヌ・デュ・プレ。彼女が二十歳の誕生日を目前にして挑んだ初の協奏曲録音である。
この盤を手にした1971年春の時点で、我が国でのデュ・プレの知名度は限りなく零に近かった。エルガーの協奏曲のLPが一度出ただけで、なんの話題にもならず早々と廃盤の憂き目を見ていた(当時エルガーを真剣に聴く愛好家はごく少数だった)。僅かに三浦淳史と吉田秀和が欧州でのデュ・プレ人気の凄さを喧伝してはいたものの、手に入る日本盤が皆無では彼女の名が広まる術もなかったのだ。
ディーリアス:
告別の歌*
日の出前の歌**
チェロ協奏曲***
マルコム・サージェント卿指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ロイヤル合唱協会*
チェロ/ジャクリーヌ・デュ・プレ***
1964年4月22、23日*、1965年3月2日**、1月12、14日***
ロンドン、アビー・ロード、第一スタジオ
米Angel S 36285 (1966)
今でも憶えているが、店頭には同じLPの英EMI盤もあり、ジャケットもコンスタブル描く風景画をあしらった同一デザインだった。本来なら英国のオリジナル盤を手に入れるのが筋なのだが、米エンジェル盤のほうが少し安価で、しかも裏面の解説にはデュ・プレ芳紀十九歳の演奏姿を捉えたモノクロ写真が載っていたものだから、一も二もなくこちらを選んだ。四十年前のとるに足らぬ些細な記憶なのだが。
そういえば、このLPは日本盤が遂に出なかったと思う。デュ・プレの名が知られるにつれ、ディーリアスの協奏曲だけがエルガーの協奏曲と表裏に組み合わされて発売され、「告別の歌」と「日の出前の歌」は永く顧みられなかった。CD時代になっても泣き別れ状態は変わらず、この収録三曲を続けて聴ける盤は絶えてなかった(これは欧米でも同じ)。それがつい昨年になって懐かしいあの風景画ジャケットを用いた覆刻SACDがわがニッポンで出たのには吃驚した(
→これ)。
発売当初このチェロ協奏曲はB面だったので今回の覆刻でも最後に来ているが、待ちきれぬ思いで真っ先に聴く。なんという儚い美しさだろう。デュ・プレは1962年に生地ブラッドフォードで催された生誕百年記念「ディーリアス音楽祭」に招かれ、誕生日当日(1月29日)チェロ・ソナタを演奏しているから、ディーリアスの音楽には相応に親炙してはいたろうが、この録音以前に協奏曲を弾いた経験はなかったといい、現場にはエリック・フェンビーが立ち会っていろいろ助言を与えた由。その甲斐もあってか、素晴らしく感興に満ちた魅惑的な演奏が残された。
ところで指揮者は何故マルコム・サージェント卿なのだろうか。デュ・プレを贔屓にした指揮者といえば第一にまずバルビローリであり、両者が共演したエルガーのチェロ協奏曲の録音は未だに名盤の誉れを恣にしているのは誰もが知るとおりだ。
ところが最近になって意外な事実が判明した。デビュー間もないデュ・プレ嬢と事ある度毎に共演を重ね、わが娘のように引き立ててきたメンター(導き手)はほかならぬサージェントだったのである。
1962年から65年までの毎夏、デュ・プレは四年連続してロンドンの「プロムズ」出演を果たし、その度に十八番のエルガーの協奏曲を披露しているのだが、伴奏指揮はいつも決まってサージェントだった(詳しくは
→芳紀十八歳のエルガー)。彼女のディーリアス録音は毎夏の共演を通して大指揮者との信頼関係が育まれつつあるなかで実現したことになろう。
ビーチャム卿という圧倒的に眩い存在の蔭に隠れた感があるが、サージェントもまた彼なりにディーリアス音楽の普及に貢献した指揮者である。1944年、初演者アルバート・サモンズを独奏者とするディーリアスのヴァイオリン協奏曲の史上初録音の際、伴奏指揮を務めたのはサージェントその人だった(ビーチャム指揮による同協奏曲録音に先立つこと二年)。
更に驚くべきは、ディーリアス最晩年の1932年、フェンビーの助力で完成した管弦楽伴奏付合唱曲「
告別の歌 Songs of Farewell」が世界初演されたとき、指揮台に立ったのはほかならぬサージェントだったという歴然たる事実だ。
すなわち、本アルバムは同曲の初演者による世界初録音──サージェントにとって恐らく悲願とも称すべき企てだったに違いない。因みにビーチャムはこの曲もまたお気に召さず、生涯で指揮したのはただ一回きりだという(それも抜粋で)。1961年のビーチャムの長逝を待っていたかのように、サージェントがこの愛着ある大作を録音したのは実に意味深長だ。しかもビーチャムの手兵だったロイヤル・フィルとそのコーラスを統率してのセッション。これはある種の意趣返しなのだろうか。
何はともあれ、サージェント卿のディーリアスが良好なステレオ録音で遺された僥倖には感謝するほかない。それが芳紀十九歳のデュ・プレ嬢との共演だった幸運にも。それから僅か二年後、この謙虚な指揮者は惜しまれつつ病歿した。