(承前)
続いて小生が耳にしたディーリアス三枚目のLPはジャクリーヌ・デュ・プレが独奏を務めたチェロ協奏曲ほかを収めたアルバムだったのだが、話の都合上これは後に回すことにして、今日ここで紹介するのは前回同様ジョン・バルビローリ卿が指揮したディーリアス・アルバムである。小生はこれを1971年4月9日に秋葉原の石丸電気で手にした。碌に勉強もせず音楽三昧のまま大学に進んだ春のことだ。
全く無関係ながら、その二日前の4月7日にはストラヴィンスキーが世を去っている。次の日の朝日新聞で「どこでどうしてミューズはこんなに年をとってしまったのか」云々と吉田秀和が追悼文を寄せている、と手控帖にある。
周知のとおり、バルビローリは前年7月、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を率いた初来日公演(マーラーの第一、ジャネット・ベイカーとの「子供の死の歌」、ブリテンの鎮魂交響曲ほか)を目前に、倫敦でそのリハーサル中に斃れて急逝した。このLPは日本コロムビアから追悼盤として10月に出たものだ(英Pye原盤)。
ただし録音年度は1956年とかなり古く、最初期のステレオ故に著しく鮮度を欠く。とはいうものの、演奏そのものの深さ、瑞々しさには目を瞠るばかり、音質の瑕疵を補って余りあるものだ。小生はこの盤を擦り減るほど聴いて(←死語)、ディーリアスのなんたるかを初めて会得した。その音楽の呪縛から逃れられないほどに。
《フレデリック・デリアスの音楽》
デリアス:
田園曲*
歌劇『イルメリン』前奏曲
春初めてのカッコウを聞いて
歌劇『フェニモアとゲルダ』間奏曲
楽園への道
ソプラノ/シルヴィア・フィッシャー*
バリトン/ジェス・ウォルターズ*
サー・ジョン・バルビローリ指揮
ハルレ管弦楽団
日本コロムビア Pye OS-2395-Y (1970)
この懐かしくも血肉化した演奏を久しぶりにCDで聴き直してみよう。
"Sir John Barbirolli conducts Delius"
ディーリアス:
楽園への歩み ~歌劇『村のロミオとジュリエット』*
歌劇『イルメリン』前奏曲*
春に郭公の初音を聴いて*
歌劇『フェニモアとゲルダ』間奏曲*
牧歌:「かつて私は雑踏の都会を通り過ぎた」**
夏の歌***
二枚の水彩画(フェンビー編)****
日の出前の歌*****
ソプラノ/シルヴィア・フィッシャー**
バリトン/ジェス・ウォルターズ**
ジョン・バルビローリ卿指揮
ハレ管弦楽団* ** *** ****
新交響楽団*****
1956年6月21日*、12月11日**、マンチェスター、フリー・トレード・ホール
1950年2月4日、ロンドン、アビー・ロード、第一スタジオ***
1948年4月1日、マンチェスター、ホールズワース・ホール****
1929年6月7日、ロンドン、スモール・クィーンズ・ホール*****
Dutton The Barbirolli Society CDSJB 1005 (1996)
このCDは1956年のパイ(Pye)録音の四曲に加え、戦後すぐEMIにバルビローリが残した貴重なSP(「夏の歌」初録音を含む)や、ディーリアス存命中の1929年の稀少録音「日の出前の歌」まで収録した一枚。至れり尽くせりの内容である。
とりわけて素晴らしいのが、男女の独唱入りの "Idyll" ──「田園曲」「田園詩曲」などと称されるが、語感的に「田園」は "Pastoral" なので、「牧歌」と訳すほうが相応しい──助手エリック・フェンビーの助力によりディーリアスが最後に仕上げた作品である。この曲の史上初録音であり、バルビローリはこれを全き共感と愛情をもって、全身全霊を捧げるように指揮している。まさに絶唱と呼びたくなる壮絶な演奏だ。こうした最晩年の作品にこそ、ディーリアス芸術の神髄があるのだ、というのが恐らくバルビローリの捉え方であり、一貫してこの時期の作に冷淡だったビーチャムとは根本的に異なる立場からのアプローチだったのだと思う。
「牧歌 Idyll」はホイットマンの『草の葉』から詩篇を撰んで、青春への郷愁と悔恨を滲ませつつ宿命的な男女の愛を相聞歌ふうに高らかに謳い上げたものだ。ホイットマンの詩集はニーチェやダウソンと並ぶディーリアスの愛読書で、傑作「海流(藻塩草)」や「告別の歌」でもテクストとした。昔これを初めて聴いた十八歳の田舎者に、詩句の機微なぞ到底わかる筈もなかったのだが、最後の一節、
Sweet are the blooming cheeks of the living,
Sweet are the musical voices sounding,
But sweet, ah sweet, are the dead
With their silent eyes.
I ascend, I float to the regions of your love, O man.
All is over and long gone, but...
Love is not over.
に無闇と感激したものだ。四十年後、その詩句は更にしみじみ心に沁みてくる。
この「牧歌」収録に先立つこと半年、バルビローリはLP片面分、四つのディーリアス小品を集中的に録音している。いずれも自家薬籠中といった趣の充実した演奏で、やがてEMI で再録音されることになるのだが、「フェニモアとゲルダ」間奏曲のみは収録が未完に終わり、このPye録音が唯一のものとなった。ともあれ、若々しく活力と稚気に満ちたビーチャムとはまるで趣の異なる「懐旧と悔恨の交錯する」バルビローリならではの老練なディーリアスが集中的に聴ける歓びは何物にも代えがたい。しばしば演奏能力に留保条件の附く手兵ハレ管弦楽団も、ここでは申し分ない巧者ぶりを発揮する。素晴らしい一枚。
附録として補完されたSP覆刻はいずれも稀少極まりないもの。これが史上初録音だった「夏の歌」(1950年収録)を聴くと、バルビローリの解釈は後年と瓜二つで、すでに方向が定まっていたことが知れる。