いよいよ押し詰まってきた年の瀬、今日は来年に備えてデスクワークに余念がなかった。ふう、これでどうにか年が越せそうだ。
ふと思い立ってガーシュウィンを聴いてみたくなる。あの天高く澄みわたった青空のような屈託のなさに少しでも肖りたいものだ。
"George Gershwin plays Rhapsody in Blue:
The 1925 pianoroll accompanied by Michael Tilson Thomas
conducting the Columbia Jazz Band"
ガーシュウィン:
ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編、原典版)*
パリのアメリカ人**
第二狂詩曲***
ピアノ/ジョージ・ガーシュウィン(ピアノロール)*
マイケル・ティルソン・トマス指揮(&ピアノ***)
コロンビア・ジャズ・バンド*
ニューヨーク・フィルハーモニック**
ロサンジェルス・フィルハーモニック***
1976年6月23日、ニューヨーク、三十丁目スタジオ*
1974年2月11日、エイヴァリー・フィッシャー・ホール**
1982年2月、10月21日、ロサンジェルス、ドロシー・チャンドラー・パヴィリオン、
1984年3月20、21日、ニューヨーク、RCAスタジオA***
ソニー・クラシカル Sony SRCR 2033 (1996)
小生のような初老世代には懐かしくも衝撃的な音源である。あれは1977年だったか、最初の二曲を収めたLPを手に取ったときの茫然自失を今もまざまざと思い出す。なにしろアルバム・カヴァーからして驚き桃の木(←死語)なのだ(
→これ)。
練達の似顔絵イラストレイター、
アル・ハーシュフェルド翁が巧みに描き出す録音風景。タートルネックのセーター姿でタクトを振る若造はマチャアキでも粟津潔でもなく、駆け出し時代の
マイケル・ティルソン・トマスその人。鍵盤に向かう顎の長いソロイストは勿論ジョージ・ガーシュウィンご当人なのだが、こちらの姿が幽霊さながら、半透明に背後が透けて見える点にとくとご注目いただきたい。
そうなのである。これは「今は亡き」ガーシュウィンと「現代の」オーケストラ(小編成のジャズ・バンド)との「夢の共演」なのである。
簡単に経緯を説明すると、ガーシュウィンが1925年、ということは初演の翌年に自動ピアノ用の穿孔ロールに録音した「ラプソディ・イン・ブルー」が現存するので、それを全曲ピアノ再生しながら、ティルソン・トマスが細心の注意を払いつつピタリ伴奏を附けながら「共演」した代物なのだ。
この手の「時空を超えた」共演というと、亡きカスリーン・フェリアの歌声に合わせてエイドリアン・ボールト卿が謹んで管弦楽伴奏を附けた「バッハ&ヘンデル:アリア集」ステレオ盤(1962)、ジョン・レノンの遺したデモ・テープに他の三人がダビングし仕上げたビートルズ名義 "Free as a Bird"(1995)が思い浮かぶが、ピアノロールと後世のオーケストラとの共演は前代未聞の企てだったのではないか。
もう一度アルバム・カヴァーをしげしげ眺めると、ガーシュウィン御大が弾いているかにみえたピアノは実は自動ピアノ(プレイヤー・ピアノ)であり、ロールが仕掛けてあるのがわかる。彼の姿が亡霊のように影が薄いのは「そこにいない」からなのだ。
実はこの仕事は困難を極めた。1924年にガーシュウィンが録音したのは四手用、即ちピアノ独奏パートに加え、オーケストラ部分のピアノ編曲をも重ねて穿孔したピアノロールだったので、専門家がロール穴をひとつひとつ識別し、伴奏部分の穴をすべて塞いで(!)独奏部分のみ残すという厄介な作業が必要だったのである。かてて加えて、ティルソン・トマスは1924年
ポール・ホワイトマン楽団の歴史的コンサート「アメリカ近代音楽の実験」(NY、エオリアン・ホール)で同曲が初演されたときの小編成ヴァージョン(
ファーディ・グローフェ編、因みに後年の大編成ヴァージョンもグローフェの手になる)の楽譜を苦労して探し出し、それに拠って伴奏を附けるという念の入れ方。初演時の演奏に限りなく近づこうという執念の賜物なのである。
三十数年前に耳にしたときもそうだったが、この「ラプソディ・イン・ブルー」原典版を聴くと誰しもぶっ魂消てその場に腰を抜かす。今回もそうだった。
(まだ聴きかけ)