ディーリアスを堪能したその耳で、すぐさまこのアルバムを聴いてみよう。こうした体験こそがケン・ラッセルへの餞になるであろう。だから追悼音楽会の第四部はこれ。
"Never for Ever"
Babooshka
Delius (Song of Summer)
Blow Away (For Bill)
All We Ever Look For
Egypt
The Wedding List
Violin
The Infant Kiss
Night Scented Stock
Army Dreamers
Breathing
Vocal: Kate Bush
Rec. Autumn 1979 - June 1980
EMI-Manhattan CDP 7 46360 2 (1980/1987)
またしても古い拙文の引用をご容赦いただきたい。『12インチのギャラリー』(1993)最終章からこのアルバムに触れた箇所を引く。
映画《夏の歌》にインスパイアされ、そこからユニークな音楽を紡ぎ出した天才少女がいる。
ケイト・ブッシュはそのサード・アルバム『ネヴァー・フォー・エヴァー/魔物語』(1979~80年録音)で、《夏の歌》の谺ともいうべき曲 "Delius (Song of Summer)" を歌っているのだ。
ディーリアスの名が呪文ふうに繰り返されるなか、透明な彼女の声が「彼は気難しい老人、その手には夏の歌が…」と歌い出す。するとそこに、あの耳障りな老人のだみ声が聞こえてくるのだ。「タータター、タータター」「ロ長調だ、フェンビー」。物憂げなムードのなか、夏の虫の羽音が曲をしめくくる。
ケイト・ブッシュが《夏の歌》を68年にリアル・タイムで観たとすると、彼女はそのときわずか十歳だった。早熟な彼女ならそれもありそうな気がするが、恐らくは再放送のおりにでも観て、印象を胸に刻み込んだのだろう。
この曲を聴いたフェンビーは、いたく喜んで「ディーリアスへの心のこもった贈り物」と評したということだ。
懐かしく思い出すのだが、先の文章を書いたのは今からきっかり二十年前の1991年秋のことだ(初出は季刊オーディオ雑誌『ListenView』)。
ケイト・ブッシュに「ディーリアス(夏の歌)」なる曲があり、それがケン・ラッセルの同名TV映画に由来することは明らかだが、彼女が何故こんな曲を書くに至ったのか、事の次第がわからず途方に暮れていた。今のようにネットで検索すれば必要な情報にたやすく辿りつける時代ではなかったから、八方手を尽くして粘り強く調べねばならなかった。その探究(というか詮索)の過程が厄介でもあり愉しくもあったのだ。
あのときはケイト・ブッシュの評伝二冊を海外から取り寄せ、彼女がTV番組でこの曲に振り付けたパフォーマンスを演じ、エリック・フェンビーと対談(!)までしている事実を突きとめた。幸運にもたまたま阿佐ヶ谷のレコード店で彼女の海賊版ヴィデオを見つけ、その希少なパフォーマンス映像と対談まで観ることができた。ブートレグゆえ画質こそ劣悪だが、得られた情報は値千金だった。上の文中にあるフェンビーの讃辞「
心のこもった贈り物 a very gracious tribute」もそこから引いたものだ。
何はさておき YouTube でこの曲を聴いてみよう(
→これ)。説明文にはなんと歌詞まで添えられている。いやはや便利な時代になったものだ。
Ooh, he's a moody old man.
Song of summer in his hand.
Ooh, he's a moody old man.
...in...in...in his hand.
...in his hand.
"Ta, ta-ta!
Hmm.
Ta, ta-ta!"
Delius,
Delius amat.
Syphilus,
Deus,
Genius, ooh.
To be sung of a summer night on the water.
Ooh, on the water.
"Ta, ta-ta!
Hmm.
In B, Fenby!
Ta, ta-ta!"
Delius,
Delius amat.
Syphilus,
Deus,
Genius, ooh.
To be sung of a summer night on the water
Ooh, on the water.
On the water.
歌詞に「気難しい老人」「その手に夏の歌を持つ」とあるのは既に指摘したとおりだが、次の節の Syphilus の語でディーリアスの宿痾が梅毒(syphilis)である事実まで仄めかされる(か細いファルセット歌唱なのでよく聴き取れないが)。
途中で男の声(" ")が語る部分がディーリアスの台詞。「タータター、タータター」とは映画のなかで彼がフェンビー青年に楽譜を口述する歌声。"In B, Fenby!" とは「ロ長調で、フェンビー!」の意だが、ちゃんと脚韻を踏んでいる。
リフレインの歌詞にある "To be sung of a summer night on the water" とはディーリアスが1917年に書いた無伴奏合唱曲「夏の夜、水の上にて歌える」のこと。ケイト・ブッシュはディーリアスの音楽によく通じているのだ。
驚いたことに YouTube では彼女が演じたパフォーマンス映像すら視聴できてしまう。便利すぎて拍子抜けしてしまうような時代である(
→これ)。
ご覧のとおり、車椅子に坐ったディーリアスの傍らで白鳥の精(?)に扮したケイト嬢が優雅に舞い歌うという夢幻的な映像だ。老作曲家は何故か太陽を象った奇妙な仮面を被っている。収録はBBCスタジオ。"The Russell Harty Show" なる番組で1980年11月25日に放映されたものという。
繰り返しになるがネット上で得られる情報の豊富さには舌を巻く。ケイト・ブッシュと《夏の歌》をめぐる積年の謎──彼女はいつ、どのようにしてこのケン・ラッセル作品と出逢ったのか──が実に呆気なく解けてしまったのである。
ある熱心なケイト・ブッシュ愛好家のサイトに拠れば、1980年12月30日、BBCラジオに出演した彼女はインタヴュアの質問に次のようにはっきり答えている。
──作曲家のディーリアスを知ったのはご家族を通じてでしょう。あなたはアルバム『ネヴァー・フォー・エヴァー』で彼について曲を書いています。お好きな作品があるのですね。
KB: そう。でも、実はディーリアスを知ったのはケン・ラッセルを通してなの。TVで観て。噂を聞いた人も多いと思うけど、《夏の歌》というのが放送されて…。ディーリアスの晩年を扱った美しい映画。
──ご覧になったのは何歳で?
KB: 十歳頃だったはず。でもね、とにかく映像が美しくて、忘れられないの。途方もないフィルムだわ。お願いだから是非BBCから再放送して欲しい。あれを観たらきっと多くの人が心を動かされるでしょう。[…]
やはりそうだったのだ。ケイト・ブッシュは十歳であの映画を観て、人生の深い秘密に触れて心を震わせていた。だがそれも驚くにはあたるまい。彼女こそは正真正銘、掛け値なしの天才少女だったのだから。