先日たまたま牛込矢來町の新潮社まで所用で出向いた折に廣報誌『波』を頂戴し、歸りの車中で繙いてみると巻頭に丸谷才一の對談記事が載つてゐた。なんでも新作の書き下ろしが同社から出た許りなのださうで、記事に據ると絃樂四重奏團の奏者四人を主人公に据ゑた珍しい小説と云ふ。これは面白さうだと直覺し乘換の東京驛構内の書肆で早速手にしてみた。
丸谷才一
持ち重りする薔薇の花
新潮社
2011
對談の中で丸谷は次のやうに語つてゐる。
小説家といふ職業に就て考へてみたんですよ。小説家が他の職業と最も違ふ處はどこか。それは嫌な相手と附き合ふ必要がないといふ事ぢやないか。普通の職業では、仕事に愛着や執着があつても、同僚といふのが非常に大きい問題らしい。ところが小説家には同僚がゐない。全く一人きりの職業。運がいゝといふのか、孤獨だといふのか、兎に角珍しい商賣なんです。
日本の小説家が書く小説が、どうしてあんなに社會性が無くなるのか、理由の一つはそこにあると思ふんです。社會と關係のない自己探求なるものにのめり込んだ。[…]
そして小説では、何をやつて暮しを立てゝゐるのか判らない主人公を描いた。谷崎潤一郎も吉行淳之介もその手で書きました。それぢやあ駄目なんで、作中人物はきちんとした職業を持たなければいけないといふのが、初めから僕の基本方針だつたのです。
社會生活では、職業の中で同僚を强く意識する。嫌だからといつて、仕事を辭める譯にはいかない縛りがある。それが典型的にあるやうな職業は何だらうと長いこと考へてゐて、「あつ、クヮルテットのメンバーにすればいい譯だ」と思ひ附いたんです。勿論以前から室内樂が好きでしたけどね。
成程ね。確かに理に叶つてゐる。絃樂四重奏團にはあらゆる社會の、あらゆる職業集團の雛型がある。藝術家だからといつて各人が我を通したら四重奏團は忽ち崩壊してしまふだらう。誰か一人でも退團すればクヮルテットは成り立たなくなる。
丸谷はこの小説で面白い工夫を施してゐる。四重奏團を巡る有爲轉變を地の文で記さず、大企業の經營者で經團連會長にまでなつた財界の大物をして語らしめる。彼は嘗てひよんな出逢ひからクヮルテットの面々と親しくなり、公私に渉る友人にしてパトロン兼相談相手を永く務めた人物といふ設定である。
すべてはその彼の眼で觀察され、彼の口から敍述される。しかも雑誌編集者が老人の回想をインタヴューとして聞き出すといふ仕掛け──云はば二重の「間接話法」が援用される。爲に物語は一筋繩で行かず、出來事は常に距離を隔てて想起され、噂、又聞き、臆測、私情などが複雜に絡み合つて、事の次第は暈され眞相は藪の中となる。そこにこそ、この小説の奧深さと玄妙な味わひがあるのだ。
まあ試しに讀んでご覧なさい。後半ちよつと急ぎ足になり混濁するのが惜しいが、融通無碍にして老獪な語り口に惹き込まれること必定だらう。音樂好きなら特にね。