上野駅の公園口を降り立つと、目の前の銀杏並木の黄金色が照り映える。
今年が開館五十周年という東京文化会館で「記念フェスティヴァル」と銘打たれた一日だけのオペラ公演を観た。題材は
コジキ、というからてっきりジョン・ゲイかクルト・ワイルばりに乞食の一族郎党がぞろぞろ登場するのかと思いきや「古事記」なのだという。しかも歌詞はドイツ語ときた。
上演されたのは黛敏郎がリンツ州立劇場の依頼で書いた歌劇 "Kojiki"(1996年初演)。イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノヲらがぞろぞろ登場する日本創世オペラである。黛が生前最後に仕上げた作品だが、わが国で舞台にかかるのはこれが初めてだそうだ。前売券を知人から譲っていただき、本来なら一万六千円もする良席で間近から鑑賞。滅多にない贅沢を味わう。
黛については「涅槃交響曲」や「舞楽」位しか知らず、古来の日本音楽を下敷きにさぞかし尖鋭な音響が繰り広げられるかと身構えていたら、徹頭徹尾どこもかしこも西欧風、実に明快でスペクタキュラーな音楽が鳴り響いたので肩透かしを喰らった。
一聴しただけの印象を云えば、新古典主義時代のストラヴィンスキー(詩篇交響曲、『オイディプス王』)か晩年のルーセル(詩篇第八十篇、『エネアス』)に近く、そこにドラマティックな味付けと入念なオーケストレーションの妙を加味した感じ。結果は殆ど映画音楽のようなわかり易さ。そういえば黛はジョン・ヒューストン監督《天地創造》の音楽も担当していたっけ。あちらも創世記だ。
わかり易いのは大いに結構だが、登場人物が神々という感情移入を拒む存在ばかりなのは如何にも辛い。もっと自在な台本に仕立てないと「人間劇」としてのオペラにならない。むしろこれは神話オラトリオと呼ぶべき代物か。同じ創世神話を扱ってワーグナーの台本がいかに「人間臭い」内容であったかを思い知らされる。
東京文化会館の大ホールに足を踏み入れたのは何年ぶりだろう? 開館五十年にしてはメンテナンスも行き届き、充分に現役の劇場として通用するのは同慶の至り。小生がここで初めて音楽を聴いたのは創設から七年後の1968年12月27日。日本フィルの「第九」公演、指揮は小沢征爾だった。