チャイコフスキーの既存の楽曲をコラージュして新作を拵える──昨日のこと、バレエ『オネーギン』を初めて耳にしながら、「こういう遣り口には前にもどこかで出くわしたことがあるぞ」と考えた。
その「先例」を今日これから聴くことにする。チャイコフスキーの「切り貼り」あるいは「換骨奪胎」バレエ。しかもその当事者は誰あろうストラヴィンスキーなのだ。
"Stravinsky Ballets"
ストラヴィンスキー:
バレエ『妖精の口づけ』全曲*
バレエ『ペルセフォネ』全曲**
バレエ『プルチネッラ』全曲***
バレエ『三楽章の交響曲』全曲****
大衛艾德敦(デイヴィッド・アサートン)指揮
香港管弦樂團(Hong Kong Philharmonic Orchestra)*
語り/アンヌ・フルネ
テノール/アンソニー・ロルフ・ジョンソン
ケント・ナガノ指揮
ロンドン・フィルハーモニー合唱団・管弦楽団**
ソプラノ/ジェニファー・スミス
テノール/ジョン・フライアット
バス/マルコム・キング
サイモン・ラトル指揮
ノーザン・シンフォニア管弦楽団***
サイモン・ラトル指揮
バーミンガム市交響楽団****
1994年10月31日~11月8日、香港、荃灣大會堂*
1991年5月3~4日、ロンドン、ブラックヒース・コンサート・ホール**
1977年3月28~29日、78年1月3日、ニューカッスル・アポン・タイン、
ノーザン・シンフォニア・センター、ヘンリー・ウッド・ホール***
1986年10月3~4日、ウォーリック大学、アーツ・センター****
EMI 9 49844 2 (2011)
1927年末、
イダ・ルビンシュテインは豊富な財力に物を言わせ、自ら主宰し旗揚げするバレエ団のための新作を矢継早に発注していた。手元不如意のディアギレフは彼女の振舞に苦虫を噛み潰しつつ手を拱いて傍観するほかなかった。やがて彼の最大の「秘蔵っ子」ストラヴィンスキーが作曲を依頼されるに及んで、ディアギレフの怒りは頂点に達した。畜生、他人の宝を横取りしやがって、という訳である。
ルビンシュテインがストラヴィンスキーに持ちかけたプロットはアンデルセンの童話「雪の女王」。主役の女王役は勿論ルビンシュテイン自身。絶世の美女ではあるが踊りの素養が乏しい彼女は動きの少ない役しか演じなかったのだ。
この新作にチャイコフスキーの楽曲を転用するよう奨めたのは、ルビンシュテインのバレエ団の舞台美術を担当し、彼女の知恵袋でもあったアレクサンドル・ベヌアその人。チャイコフスキー歿後三十五年に際し、ロシア・バレエの偉大なる先達にオマージュを捧げてはどうだろう、という提案だった。
ストラヴィンスキーは幼い頃、父に連れられてマリインスキー劇場に出掛けた際、たった一度だが生身のチャイコフスキーをチラと目撃したことがあった。そうした奇しき縁もストラヴィンスキーの意欲をかきたてた筈である。
こうして誕生した『
妖精の口づけ』は驚くほど冷やかな感触の曲。まさに「雪の女王」さながらクールで蒼褪めた「凍れる音楽」なのである。ストラヴィンスキーは周到にチャイコフスキーのピアノ小品を渉猟し、殆ど誰も知らぬ旋律をあちこちから寄せ集めて四十数分のバレエに仕立てた。その手腕はなるほど巧緻を極めているが、初演の晩にディアギレフが評したように「全体に精気がない」。チャイコフスキーの音楽からあらゆる熱を奪って冷凍乾燥させた趣なのだ。
本CDではこのあとに、同じイダ・ルビンシュテインの依頼でストラヴィンスキーが作曲した『
ペルセフォネ Perséphone』が聴けるのが難有い。
我儘一杯ルビンシュテインは古代神話をわざわざアンドレ・ジッドに韻文化させ、自らペルセフォネに扮して詩句を朗読し、相手役のテノール歌手は朗々と歌うという、バレエとも歌劇とも朗読劇ともつかぬ奇妙な舞台作品に仕立てた(ドビュッシー=ダンヌンツィオの『聖セバスティアヌスの殉教』と同工異曲か)。1934年パリ初演。ストラヴィンスキーにとっては『オイディプス王』『アポロ』に続く古代希臘もの第三作になる。透明で霊妙な響きが美しいが、ただ耳にすると些か退屈な音楽。
のちにバランシン、グレアム、バウシュらも振り付けたというが、上述のように不思議なハイブリッド作品なので上演は難しかろう。たまたま2003年夏に英京で実演に接する機会があったが、残念ながら演奏会形式の演奏だった(CD化もされた)。
次の『
プルチネッラ』には贅言を要すまい。ディアギレフの導きで作曲家が新古典主義に「転向」した劃期的な作。舞台美術を担当したピカソもこれを機に古典回帰するのだから、いやはや、ディアギレフの名伯楽ぶりここに極まった感がある。
周知のとおり『プルチネッラ』は18世紀コメディア・デラルテの現代への再生というバレエの意図に相応しく、ディアギレフが欧州各地の図書館で発掘したペルゴレージ作品(と当時は思われたもの)にストラヴィンスキーが独自の編曲を施して繋ぎ合わせて出来上がった。1920年パリ初演。
当時まだ誰も知らない古楽に新しい衣を纏わせた、といえば聞こえはいいが、紛いものスレスレの際どい企みでもある。だが20世紀ポスト・モダンの先駆とも云えそうだ。ディアギレフの嗅覚はこうした「発掘」→「再創作」の意義を誰よりも早く嗅ぎつけた点にも遺憾なく発揮された。ほかにも『
上機嫌な婦人たち』(1917/ドメニコ・スカルラッティによる)、『
風変わりな店』(1919/ロッシーニによる)、『
女羊飼の誘惑』(1924/モンテクレールによる)、 『
チマロジアーナ』 (1924/チマローザによる)、『
女たちの奸計』(1924/同上)、『
物乞う神々』(1928/ヘンデルによる)と枚挙に暇がない。換骨奪胎のブリコラージュはバレエ・リュスのお家芸なのだ。
してみると、昨日は腹立ち混じりに聴いたクランコの創作バレエ『オネーギン』こそはディアギレフの衣鉢を継ぐ「正統的」な20世紀バレエということになろうか。まあ、その場合、問われるのは編曲者の腕前なのだが。
最後の『
三楽章の交響曲』は第二次大戦中に書かれた純然たる管弦楽曲を70年代にバランシンがバレエ化しただけの代物なので、わざわざ論じる価値はなさそう。どうせなら『アゴン』が聴きたかった。EMIには音源がないのかな。
このディスクの失策はアルバム・カヴァー(
→これ)。事もあろうに『春の祭典』の舞台写真を使ってしまったのは大減点だ。折角の選曲の妙がこれでは泣く。