先日ふと懐かしんだ東京の名画座のその後の顛末を附記しておこう。
併せて各館で遭遇した忘れじの映画の名も、自分用の備忘録代わりに掲げておく。憶えてるうちが花なのよ忘れたらそれまでよ党宣言。
文芸坐と
文芸地下(池袋東口)
■1979年に演劇主体の小劇場「ル・ピリエ」を併設。書店やカフェも増設した。文芸地下は1988年に「文芸坐2」と名称変更。すべての施設が1997年に閉鎖。竪琴を持つミューズのレリーフをあしらった由緒ある建物は取り壊され、跡地にはパチンコ屋ビルが建った。その三階に「新文芸坐」が復活したのは2000年末。21世紀の今も邦画もしくは洋画二本立で名画座の心意気を示す。■「
陽のあたらない名画祭」
■オールナイト「
ロバート・アルトマン監督特集」「
宍戸錠特集」
■「
中川信夫監督特集」「
曽根中生監督特集」
シネマ・ロサと
シネマ・セレサ(池袋西口)
■今も同じ建物(ロサ会館)で「シネマ・ロサ1・2」として存続。ただし1997年からはロードショー専門館に路線変更した。■《
冬の旅》 アニェス・ヴァルダ監督作品
高田馬場パール座(高田馬場)
■まだ十代の頃に訪れた名画座なので感慨深い場所。ここで二本立の片割れとして観た一本のアメリカ映画がわが人生を変えた、と云ったら大袈裟だろうか(関連記事は→ここ、→ここ、→ここ、→ここ)。入口の絵看板(《商船テナシチイ》の一場)が目に浮かぶ。贔屓の名画座だが番組編成のせいか80年代後半に足が遠のいた。1989年閉館。今は同じ場所(西友の地下)がライヴハウスになっている由。■《
ひとりぼっちの青春》 シドニー・ポラック監督作品
早稲田松竹(高田馬場)
■学生街の地の利もあって名画座受難の時代を21世紀まで生き延びたかと思いきや2002年春あえなく閉館。ほどなく有志の手で再建され、今も変わらず洋画もしくは邦画二本立の方針を堅持する姿は心強い。■《
雨のなかの女》 フランシス・フォード・コッポラ監督作品
新宿昭和館と
昭和館地下(新宿)
■戦前からの歴史を誇り、戦後すぐは新東宝の封切館だった由。小生の知る時代には地上が任侠ヤクザ、地下が成人映画と徹底してアウトロー路線を邁進。入るだけで緊張した。終わって出たら肩で風切って駅まで歩く。2002年閉館。■《
日本侠客伝 斬り込み》 マキノ雅弘監督作品
アンダーグラウンド蠍座(新宿)
■ATG封切館の「アートシアター新宿文化」の地下にあった小空間。浅川マキの常打ち小屋だったが、小生が彼女を生で聴いた1974年大晦日公演は上階の「新宿文化」だったと思う。1970年代半ばには邦画二本立を週代わりで上映。勿論「新宿文化」もろとも疾うに消滅しているが、閉館時期は未詳。■《
あらかじめ失われた恋人たちよ》 清水邦夫+田原総一朗監督作品
東急名画座(渋谷)
■屋上に銀屋根のプラネタリウムを頂く東急文化会館の六階にあった洋画一本立の上品な名画座。1986年「渋谷東急2」と改称され封切館となった由。2003年閉館、東急文化会館ごと解体された。■《
グループ》 シドニー・ルメット監督作品
■《
ナック》 リチャード・レスター監督作品
渋谷全線座(渋谷)
■東京で洋画を観始めた1970年前後に何度か赴いたのみ。それもその筈、1977年に早くも閉館。駅前交叉点の同じ場所に渋谷東急インが建つが、建物名「渋谷全線座ビル」に辛うじてその名を残す。■《
あの胸にもう一度》 ジャック・カーディフ監督作品
三鷹オスカー(三鷹)
■次の五反田TOEIシネマと並ぶ「三本立名画座」一方の雄。下記のキューブリック特集など忘れ難い。体力が続かず二本観るだけの日も多かった。とにかく終日入り浸るので、明るい時間帯の三鷹界隈の記憶が殆どない。駅前再開発(と称する街殺し)により1990年閉館。■《
非情の罠》《
博士の異常な愛情》《
時計じかけのオレンジ》
五反田TOEIシネマ(五反田)
■川沿いに建つ封切館の五反田東映に隣接していた。三本立なので全部観るのは気力体力が充実している日に限る。下記の加藤泰監督作品三本立はその典型だ。1990年閉館。■《
男の顔は履歴書》《
阿片台地 地獄部隊突撃せよ》《
懲役十八年》
大井シネマと
大井武蔵野館(大井町)
■1988年(?)に「大井武蔵野館1・2」と館名変更。路線はそれまで同様、有名無名こき混ぜて邦画の魅力を満載した破天荒な番組編成に磨きがかかったが、1999年とうとう力尽きたか21世紀を待たずに閉館。■「
マキノ雅弘監督特集」
新橋文化と
新橋ロマン(新橋)
■しぶとくニ館とも存続中なのに驚く。前者は娯楽洋画二本立、後者は成人邦画三本立の王道(?)を往く。久しく行ってないが、HPの画像に拠ると画面左右のトイレ入口も健在!■《
スキャンドール(=チカーラ)》 アルベルト・ラットゥアーダ監督作品
並木座(銀座二丁目)
■番組編成が保守的なので永く通いつめる場所ではないが、入門期には誰しも赴く邦画専門名画座。もう憶えている者は少なかろうが、70年代初頭には洋画も観られた。休憩時ストーンズの「ルビー・チューズデイ」がかかったことも。1998年閉館。■《
わらの犬》 サム・ペキンパー監督作品
日劇文化(有楽町)
■かの娯楽の殿堂「日本劇場」の地下にひっそり存在した小空間。ここは名画座ではなくATGの封切館として1962年から81年まで存続した。個人的には高校三年でゴダール作品に出逢った場所として銘記される(関連記事は→ここ)。■《
アルファヴィル》《
気狂いピエロ》 ジャン=リュック・ゴダール監督作品
銀座シネパトス(東銀座)
■嬉しいことに邦画専門の名画座として今も健在だ。しかも意欲的な番組編成で愛好家をも唸らせる。ここはなんといっても昨秋の「原田芳雄 映画祭」の記憶が鮮烈だ。あのときのトークショーがその謦咳に接する最後になってしまうとは人生無常だ(当日のレヴューは→ここ)。■《
赤い鳥逃げた?》 藤田敏八監督作品
銀座ロキシー(東銀座)
■松竹本社のある「松竹セントラル」に付随した地下劇場で洋画二本立の名画座。「ロキシー」とは松竹が戦後すぐ洋画配給を手掛けた際に全国に設けた由緒ある劇場名だとか。80年代中頃「松竹シネサロン」と改名し松竹大船の旧作専門館となり、その後「松竹セントラル3」を名乗るが1999年に閉館したらしい。■《
アデルの恋の物語》 フランソワ・トリュフォー監督作品
八重洲スター座(東京八重洲)
■細い階段を下りた先にある小さな洋画二本立の名画座。記憶のなかで美化されて、セピア色を帯びて明滅するのは何故だろう。東京駅至近なのに時の停まったように静謐な佇まいが良かったのだろう。1989年ひっそりと閉館。■《
恋》 ジョゼフ・ロージー監督作品
飯田橋佳作座(飯田橋)
■前稿では書き漏らしたが、ここも忘れてならぬ名画座だ。早稲田同様に学生街に立地しており、いつも結構な賑わいだった。専ら洋画二本立で特に番組編成上の主張や拘りはなく、名作・評判作を淡々とこなしていく趣なのだ。なので「ここでこの作品と出逢った」ときめきの記憶には乏しい。1988年閉館。■《
郵便配達は二度ベルを鳴らす(=妄執)》 ルキーノ・ヴィスコンティ監督作品
大塚名画座と
鈴本キネマ(大塚)
■同じ建物の二階に洋画二本立ての「大塚名画座」、地下に邦画専門の「鈴本キネマ」がある光景は夢に出てきそう。他に用のない大塚にかくも足繁く通ったのは全くもって名画座行脚の賜物である。帰りにちょっと都電に乗ってみたりして。1987年閉館。■《
ポパイ》 ロバート・アルトマン監督作品
以下は番外篇。
二子東急(二子玉川園)
■赴いたのは一度きり。遊園地の廃止が迫る寂れた街にぽつり佇んでいた。ほんの数分遅刻してしまい、以来この映画を観直す機会がない。80年代後半に閉館か。■《
恋する女たち》 ケン・ラッセル監督作品
浅草東京クラブ(浅草六区)
■煉瓦造の古色蒼然たる映画館。なんと1913年創業(!)といい、建物も1931年改築時のまま奇蹟的に残っていた(隣接する常盤座、浅草ロキシーも同じ)。内部はくすんで古めかしい印象だが、外に出て見上げるとファサードは堅牢で気品高く(→これ)、蛇腹状の背面がなんだか表現主義風で圧巻だった(→これ)。1991年閉館。重要文化財級の建物も現存しない。惜しいことだ。■《
ビッグ・アメリカン》 ロバート・アルトマン監督作品
■《
長い灰色の線》 ジョン・フォード監督作品
浅草中映(浅草六区)
■嬉しいことにここは今なお健在である。娯楽洋画二本立の王道を貫く名画座。アクション映画率が極めて高い。しかも他では観られぬ隠れた傑作がひょっこりかかる(関連記事は→ここ、→ここ、→ここ)。惜しむらくは観客層が些かなんとも…。■《
北国の帝王》 ロバート・アルドリッチ監督作品
■《
テレフォン》 ドン・シーゲル監督作品
浅草キャピタル(浅草六区)
■明治末年から活動写真館「大勝館」があった場所に再建された館らしいが、出向いたのは唯の一度きり。なので建物の印象にまるで憶えがないし、その後の消息も不明。でも観た映画がえらく心に沁みたのだ(関連記事は→ここ)。■《
オクラホマ巨人》 スタンリー・クレーマー監督作品
番外篇の番外。
横浜大勝館(横浜黄金町)
■生まれて初めて黄金町という危なげな界隈に足を踏み入れた。無法地帯めいて荒くれた印象が強烈で、映画館そのものの佇まいは全く記憶にない。1983年閉館。■《
ビッグ・バッド・ママ》 スティーヴ・カーヴァー監督作品