「なんでも取っておくから部屋が散らかる」とは家人の口癖である。まさしくそのとおり御説御尤もで、本やレコードのように意識的に収集したもの以外にも、映画・芝居・演奏会・展覧会のチラシやパンフレット、チケットの類がいつの間にか溜まりに溜まって段ボールに三十箱ほどある。今回の整理であらかた処分する方針だが、箱を開けた途端に数十年分の想いが溢れ出て、片付けどころではなくなる。
なかには観ずに終わった催しの告知チラシも随分ある。それらは優先的に処分されるわけであるが、例外も少なくない。先日やっと観る機会を得た若松孝二監督作品《
寝盗られ宗介》ロードショー公開時(1992)のチラシなどはまさにそれで、和田誠のイラストが実に味わい深くて捨てるのが忍びないのである。
同じ箱からは「映画と実演」と添え書きされたこんな催しのチラシも出てきた。
原田芳雄
キネマ 大放出
五夜連続!!
銀幕デビュー30th
東京ラフ・ファイト!
'93年9月27日(月)~10月1日(金)
TOKYO FMホール
16:00開場・16:30開演
読んで字の如く原田芳雄の映画生活三十周年を祝う連続イヴェントとおぼしい(正確には「俳優人生三十周年」だろうが)。黒田征太郎(《竜馬暗殺》をプロデュースした御仁)の大胆なイラストレーションが表を飾る。ひっくり返して裏面はと見ると、その豪勢なラインナップに思わず息を呑む。
9月27日(月)第一夜
■映画「反逆のメロディー」
■映画「新宿アウトロー ぶっ飛ばせ」
■対談 原田芳雄 vs 藤田敏八、沢田幸弘、林美雄
■アコースティック・ライヴ 原田芳雄(ギター:内海利勝)
ゲスト:山崎ハコ
■映画「野良猫ロック 暴走集団71」
9月28日(火)第二夜
■映画「無宿人御子神の丈吉 牙は引き裂いた」
■映画「赤い鳥逃げた?」
■対談 原田芳雄 vs 黒木和雄、桃井かおり、石橋蓮司
■アコースティック・ライヴ 原田芳雄(ギター:内海利勝)
■映画「竜馬暗殺」
9月29日(水)第三夜
■映画「祭りの準備」
■映画「やさぐれ刑事」
■対談 原田芳雄 vs 鈴木清順、大楠道代、荒戸源次郎
■アコースティック・ライヴ 原田芳雄(ギター:内海利勝)
■映画「ツィゴイネルワイゼン」
9月30日(木)第四夜
■映画「どついたるねん」
■映画「浪人街」
■対談 原田芳雄 vs 若松孝二、阪本順治、相楽晴子、大和武士
■アコースティック・ライヴ 原田芳雄(ギター:内海利勝)
■映画「われに撃つ用意あり」
10月1日(金)第五夜
■映画「寝盗られ宗介」
■ライヴ 原田芳雄&FLOWERTOP
ゲスト:原田喧太 ほか
■トーク ゲスト:藤谷美和子、佐野史郎、筧利夫、松尾貴史
なんという豪華絢爛たる椀飯振舞だろう。主演した代表作を十三本(十八年前の「代表作」だが、いみじくも目下続映中の新文芸坐での追悼上映にすべて含まれている)続けざまに上映し、それに因んだ監督と共演俳優をゲストに招いてトークを行い、併せてライヴで歌声まで聴かせてしまおうという欲張った企てである。
かくも賑々しくも盛大な催しは後にも先にも恐らくこのときだけだろう。原田芳雄の俳優人生のひとつのピークを形づくる華やかな(原田の好んだ言葉を使うなら)「祭り」だったに違いない。時に芳雄兄イは御年五十三、油の乗った働き盛りだ。
どの日に行こうか、誰しも迷うところだ。藤田敏八監督、澤田幸弘監督、林美雄(!)が顔を揃える
第一夜も見逃せないし、黒木和雄監督、桃井かおり、石橋蓮司との(恐らく)和気藹々のトークを愉しんだあと同じ顔ぶれの《竜馬暗殺》を観る
第二夜も愉しそうだ。鈴木清順監督、大楠道代、荒戸源次郎との(恐らく)禅問答のようなトークに続いて《ツィゴイネルワイゼン》を鑑賞する
第三夜も乙な体験だろう。当然ながら
第五夜のバンドを伴うライヴは必聴必見ものだ。結局は万障繰りあわせて連夜通いたくなるのがファンの心境であろう。一回券は3,500円(第五夜は5,500円)、通し券は15,000円という料金設定はちと高い気がするのだが…。
それにしても不可解なのは、これほどのイヴェントに一度も足を運ばなかった小生の驚くべき怠慢と不熱心である。チラシをどこかで手にしていたからには開催を重々承知はしていたものの、金額の高さに怖気づいたのか、あるいは奉職四年目だった本業の美術館勤めが忙しかったのか、この千載一遇の機会をみすみす逃してしまったのだからなんともはや不甲斐ない。
…とつらつら想いを巡らせたところで、同じその段ボール箱から思いもよらぬ紙片が出てきた。この催しの入場券の半券なのである。発券機から打ち出された印面には「
銀幕デビュー30th/東京ラフ・ファイト/映画と実演/原田芳雄 キネマ大放出五夜連続!!」とあるから間違いない。日付は1993年9月28日(火)、すなわち「第二夜」のチケットである。「TOKYO FM ホール」「全席自由」と大書された印字が今も黒々と鮮やかだ。
驚きのあまり暫しその場に坐り込んでしまう。小生はこのイヴェントに居合わせていたのである。半券はそれを示す動かぬ証拠物件なのだ。「第二夜」ということはつまり「
無宿人御子神の丈吉 牙は引き裂いた」「
赤い鳥逃げた?」「
竜馬暗殺」の三本立に加え、黒木和雄、桃井かおり、石橋蓮司とのトークや原田のアコースティック・ライヴをも見聞していたことになる。本当なのか? まるで記憶にないのだが。
試しにわが伝家の宝刀たる「映画手控帖」の頁を繰ってみると、おお、あるある、当日たしかに上の三本を観たと記されているではないか! かてて加えて、前日の27日(月)の条には「
反逆のメロディー」「
新宿アウトロー ぶっ飛ばせ」「
野良猫ロック 暴走集団71」の三本も観たとある。ううむ、ということは藤田・澤田両監督や林美雄を交えたトークや、山崎ハコを招いてのライヴにも間違いなく接していたのだ。
つまるところ、小生はこのイヴェントに喜び勇んで馳せ参じ、「第一夜」と「第二夜」を続けざまに観ていたのである(月曜と火曜は当時の小生の公休日だった)。
にも拘わらず、あろうことか当日の記憶が全く欠落してしまっている。観た、聴いた、その場に居合わせた、という朧げな幻影すら残っていないのだ。
旧友たちはよく小生の記憶力の確かさを褒めそやす。拙ブログが昔の話題を採り上げる度毎に「よくそんなに詳しく憶えているなあ」と称賛されるのだが、それはたまさか思い出せる事柄のみを記すからで、実態はこんな体たらくだ。たった十八年前の記憶がもはや跡形もないのである。
誰しもそうだろうが、記憶とは実に恣意的な代物だ。粗密さまざまに気紛れな斑模様を描き出す千切れた織物でしかない。過去はもう記憶の彼方なのだ。