昨夕は部屋の片づけの手を暫し休めて遙々上京した。三連休の初日とあって混み合う電車を五本も乗り継いで自由が丘へ。ここまで乗換回数が多いと所要時間が読めず、遅刻しやしまいかとヤキモキしたが、着いてみたら開始時刻の六時までまだ十数分ある。ふう、なんとか間に合った。
目的地はこの街の瀟洒なバー「Bird Song Cafe」。グラフィック・デザイナーで70年代ロックの生き字引として知られる
デニー奥山こと奥山和典さんがディスクジョッキーをされる。題して "
DJ nite: Tokyo 70s Rock vol. 2"──正確には専ら秘蔵のテープ音源を披露されるのでDJというよりもTJと呼ぶべきか。
催しの第一回目はこの五月に同じ店で催された(その日の感想は
→ここ)。稀少な録音が惜しげもなく開陳されて嬉しいやら目を瞠るやら。しかも殆どは奥山さんご自身がラジオやTVからエアチェック、もしくは会場に出向いて直接その場で実況録音されたものなので、他では絶対に聴けない正真正銘のレア音源である。70年代の東京ロックがそのまま眼前に甦る気がしてクラクラ眩暈がしたものだ。
前回のてんこ盛りの充実ぶりから推して二匹目の泥鰌は小さいかと案じていたら、これはとんだ杞憂に終わり、いやはや面白いのなんのって。奥山コレクションは奥が深い山の如し、実に無尽蔵なのである。
休憩を挟んでDJは三時間に及んだが、聴きどころ満載で片時も聴き逃せぬ充実のひととき。トイレに行くのを忘れてしまったほど。かかった音源は1972年の遠藤賢司から79年のボブズ・フィッシュ・マーケットまで──ロックに目覚めた十代半ばから二十歳ちょい過ぎ頃にかけて奥山少年が自らテレコ抱えてカセット録音したオリジナル音源が大半を占める。詳しい曲目リストはご自身のブログ「
Denny_O_Rama」をご参照あれ(
→ここ)。曲の合間で入る奥山さんのコメントも臨場感たっぷり。まあ、そのときその場に居られたのだから当然といえば当然なのであるが。
前回に引き続き、
RCサクセションが文句なしに凄い。77年12月に渋谷の屋根裏でのライヴから二曲。清志郎の喘ぐように痛切なヴォーカルが胸に沁み入る。こんなに充実した演奏なのに当夜の客は奥村さんと同行の彼女を含めてもたったの七人(!)だったという。このとき奥山少年は「ああもうこれでRCもオシマイだ」とひとりごちたそうな。タイムマシンがあったなら聴きに戻りたくなるほど圧倒的な演奏だ。カセット録音とは思えぬ明瞭で生々しい音質にも驚かされる。すぐ眼前でキヨシローが唄っているようにしか思えない。
音質の良さという点では同じく77年の4月、有楽町の「日立ローディ・プラザ」なるショールームでの「16チャンネル生録会」ライヴが素晴らしい。なんでも参加者の各自に16チャンネルの調整卓が貸与され(!)、目の前の演奏を独自にミクシングしつつステレオ録音し、それをカセットとして持ち帰れたというから驚きだ(海賊録音でない証拠にちゃんとJASRACのシールを貼ってくれた由)。
ハルヲフォンの演奏はレコードとはまるで違ってヴィヴィッドなもの。生を聴いておくべきだったと後悔しきり。
絶頂期の
上田正樹&サウス・トゥ・サウスの「俺の借金全部でなんぼや?」がかかったとき、思わず快哉を叫びそうになった。東京ロックのひ弱さをなぎ倒す関西弁丸出しのソウルフルな歌に圧倒されたことを今も生々しく憶えている。TVKの番組「ヤングインパルス」のスタジオ・ライヴだそうで、収録は1975年か76年であろう。
最も耳を欹てたのは1973年9月21日に文京公会堂で催された伝説的なコンサート "Last Time Around"──所謂
はっぴいえんどの解散コンサートの録音だ。弱冠十六歳の奥山少年はここにも足を運び、ちゃんと実況録音をカセットに収めていたのである。そのなかから鈴木茂の「さよなら通り三番地」を聴く。不安定なヴォーカルはいただけないが、バックが結成間もない
キャラメル・ママだというのが貴重。ここまでいくと、これはもう歴とした音楽遺産なのではないか。
興奮を禁じ得ない魅惑の一夜だった。70年代が追憶でも幻影でもなく、紛れもない「実体」としてまざまざと現前するという稀有な体験を心ゆくまで味わった。
それにしても奥山さんは幸せな人だ。かつてこれだけ豊穣なロック体験を胸に刻んだのみならず、三十数年も経ってから「同じその音」をそっくり蘇らせて、それを聴く歓びを皆と分かち合えるなんて…。心底そのことが羨ましい。