いやはや凄まじい風雨だった。風圧でヴェランダの蔓植物を支える支柱が傾き、草花の鉢という鉢が風圧で倒れたり動いたりしている。颱風は静岡、山梨を通過し、関東地方を縦断して太平洋へ抜けた模様。まだ風は吹き募っているものの、既に空には星が瞬いている。
これでやっと心静かに音楽が聴ける。こんなディスクを別室で発見した。これは手放さず大切に聴き続けていこう。
"L'arbre de vie/The Tree of Life: Mika Väyrynen"
バッハ(ヴァユリネン編): 前奏曲とフーガ ニ長調 BWV532
高橋悠治: 水牛のように
バッハ(ブゾーニ、ヴァユリネン編): いざ来たれ、異邦人の救世主よ BWV659
パトリック・ビュスイユ: Arboris I──生命の樹
バッハ(ヴァユリネン編): イエスよ、わが変わらぬ喜び BWV147
バッハ(ヴァユリネン編): われを憐れみ給え、主なる神よ BWV721
グバイドゥーリナ: 深き淵より
バッハ(ブゾーニ、ヴァユリネン編): シャコンヌ ニ短調 BWV1004
アコーディオン/ミカ・ヴァユリネン
2005年9月19~21日、シウンティオ(フィンランド)、聖ペテロ教会
Alba ABCD 220 (2006)
バッハと現代音楽を交互に聴かせる趣向のアルバム。
アコーディオンで聴くバッハは格別である。勿論すべて編曲物なのだが、それでいてバッハの肉声を耳にし、その懐に抱かれるような気になるのは何故だろう。まこと「
アコーディオンこそバッハを弾くのに最も相応しい楽器」(御喜美江さんの言)なのだとつくづく思う。
フィンランドの名手
ヴァユリネンは四年ほど前に実演を東京で聴いた。ゴルトベルク変奏曲ただ一曲という潔いリサイタル。全身に震えが来るような凄い演奏だったことを思い出す(当日のレヴューはここ
→アコーディオンの「ゴルトベルク」)。
いやはやもう、素晴らしすぎて言葉にならない。バッハと並列的に現代作品を奏でるという作戦が奏功して、どれがバッハでどれがゲンダイオンガクなのやら区別がつかない──というのは冗談だが、両者の間に違和感や齟齬がまるでなく、すうっと別世界に移行できてしまう。バッハの抽象性の高い精神世界がそのまま今の時代に繋がるのかもしれないし、深い内省や瞑想の音楽だという点で両者には通底するところがあるようにも感じる。高橋悠治の呟きも、グバイドゥーリナの祈りも、等し並みにバッハと無縁でないのである。
標題の「生命の樹木」はパトリック・ビュスイユ Patrick Busseuil の同名曲に由来する。全く知らない人だが、1956年ディジョン生まれの作曲家・アコーディオン奏者だそうで、Ecole Nationale de Musique de Romans の先生。数多くの独奏曲、さまざまな編成の室内楽、アコーディオン協奏曲などがある由(HP情報)。さすがにこの楽器の響きの特性が存分に生かされた佳曲である。しかも耳に優しい。
こういう編成で一夜のリサイタルが組まれないものか。