ここ四十年以内に日本で刊行された書籍・雑誌は手許におかず売却する。そう自ら大原則を定めて、ほぼ揃っていた
小林信彦を、
海野弘を、
殿山泰司を、
蓮實重彦と
四方田犬彦を悉く手放した。惜しい気がしないでもないが、これらの書物はもう永く熟読玩味し疾うに血肉化している筈だから、と無理矢理に云い聞かせて段ボール箱詰めしたのである。まるで棺に蓋するような喪の行為だと感じた。
だが何事にも例外というものはある。
1980年代に出たこの本は辛くも売却処分を免れ今も書棚にある数少ない一冊だ。
色川武大
唄えば天国 ジャズソング
命から二番目に大事な歌
ミュージック・マガジン
1987
これはちょっと凄い本だ。小生は色川武大のよき読者では決してなく、阿佐田哲也名義の麻雀小説も敬遠して読まず仕舞。それでもこの一冊には心底うちのめされた。ポピュラー・ソングの領域に限らず、あらゆる種類の「歌」についてのエッセイで、ここまで深い愛着を顕わにした例はちょっと想起できない。
学校生活に馴染めなかった早熟な色川少年は浅草で映画館と芝居小屋に入り浸った。いつしか米国渡来の流行歌や草創期の和製ポップスにぞっこん魅了された少年は、戦時下ゆえ中古レコード屋で投げ売りされていたそれらの「敵性音楽」「非国民歌謡」を買い集めては密かに聴き入っていた。彼は筋金入りの軟派だったのだ。
私の子供の頃のレコードには、ジャズ小唄、なんていう標題がついているのもあったが、いわゆる古いジャズ・ソング、アチラ式にいうとラヴ・ソングかな、には軽くて甘いいい唄がたくさんあった。
年がら年じゅう女のケツばかり追っかけているような、楽天的で内容(なかみ)のない唄ばかりで、当時のコワイおじさんは、ヤレ煽情的だ、頽廃だ、亡国的だ、とうるさくいったが、そんなことはちっともかまわない。唄なんてものは、内容で聴くものじゃないからね。私なんかは内容は単なる符丁だと思っている。
フレッド・アステア、
二村定一、
あきれたぼういず、
杉狂児、
ファッツ・ウォーラー、
エディ・キャンター、
ビング・クロズビー、
ルース・エティング…。
これらのエッセイは創刊間もない『
レコード・コレクターズ』誌に連載された(たしか第一回目は創刊号に載ったのではないか)。だから本になる前から大半を初出時に立ち読みしていた筈だが、こうして一冊に束ねられると実になんとも壮観だし、歌の選び方にこの人ならではの嗜好や偏愛ぶりがくっきり浮かび上がる。
(まだ書きかけ)