昨日たまたま聴いて小生のシェルヘン熱が再燃したようである。真夏に聴くには彼の熱血漢ぶりはいささか季節外れの感なきにしもあらずだが、やはりこの指揮者は大物である。迸るような真率さにおいて右に出る者はいない。
遺された彼のディスク、とりわけ実況録音を耳にすると、その熱情溢れる指揮姿が髣髴と目に浮かぶ思いがする──とまあ、訳知り顔でそう書けるのは四年半程前にシェルヘンのリハーサル風景をつぶさに記録した映像を観る機会があったからだ。「
ヘルマン・シェルヘンの神々しい姿」と題した当日のレヴューを再録しておく。
今日は渋谷にいた。東急本店の脇を少し入った所にあるアップリンクで、フランスの作曲家・映像作家リュック・フェラーリの1960年代の映像作品のアンコール上映があるので出向いてみた。この上映会のことはつい先日、作曲家の鈴木治行さんに教えていただくまで迂闊にも知らなかった。小生が観たかった作品は次の二本。
パリのセシル・テイラー Cecil Taylor à Paris (1968)
監督:ジェラール・パトリス 企画:リュック・フェラーリ 製作:ピエール・シェフェール
一人の男が人生を音楽に捧げるとき:ヘルマン・シェルヘンの肖像
Quand un homme consacre sa vie à la musique.
Portrait de Hermann Scherchen (1966)
監督:ジェラール・パトリス 企画:リュック・フェラーリ 製作:ピエール・シェフェール
いやはや、これは大変な映像だった。60年代のセシル・テイラー・クアルテット(+ジミー・ライオンズ、アンドルー・シリル、アラン・シルヴァ)のセッション風景が観られること自体が貴重だが、その演奏の炸裂ぶりが凄まじい。しかも合間合間にテイラー自身が雄弁に、明晰に語る言葉がたいそう意味深いのだ。
二本目のヘルマン・シェルヘンのリハーサル風景はさらに素晴らしい。1966年3月というから、この名指揮者が74歳で急死(フィレンツェで指揮中に仆れた)する僅か三か月前の映像記録だ。自ら管弦楽アンサンブル用に編曲したバッハの「フーガの技法」をリハーサルする姿に至近距離から肉迫した鮮明なモノクロ映像。パリのサン=ロック聖堂での収録という。
シェルヘンの遺したディスクは殆ど手元に置いて愛聴しているというのに、その動く指揮姿を観たことがなかったとは迂闊だった。驚いたことに、無骨さはまるでなく、きわめて的確・流麗で美しいバトン・テクニックにまず感動。その立居振舞はきびきび矍鑠としていて、死を目前にした人とはとても思えない。それより何より、その厳父のような顔貌や眼差しがいかめしくも慈愛に満ちて神々しく、ほとんど後光が差すかのよう。ほれぼれ見とれてしまう。
キャメラはごく近接した位置(コンサートマスターの隣り)から仰角でシェルヘンの手と顔を終始執拗に追い続ける。あまたある指揮者の映像のなかで、これほど対象に密着した例があっただろうか。このリハーサルを収録することを思いついたフェラーリに満腔の感謝を捧げたい気持ちだ。
随所にシェルヘン未亡人と遺児たちの日常風景が挟まれるのも秀逸なアイディア。スイスのグラヴェザーノの有名な私設スタジオや、素晴らしく眺めのよい私邸もたっぷり紹介される。「主人は子供のように純な人でした。きらめく青い眼をしていて、夏の湖のように、その瞳のなかへ飛び込みたくなるほどでした」と語る未亡人の言葉に胸をうたれた。
もうすっかり忘れていたのだが、最後にこう附言されている。
渋谷駅に戻る途中、ふと思いついてHMVに寄り道、ヘルマン・シェルヘンのCDを探す。幸い新譜コーナーに "Archives H. Scherchen: de Purcell à Varèse" なる二枚組を発見、さっそく購入し […] 帰りの車中で聴いてみたら、これが途方もなく凄い内容で、思わず総毛立つほど。これについて書き出すと長くなるので、後日ご紹介しよう。
そうであったか、全く失念していたが、昨日久しぶりに耳にした二枚組とは、まさにあの鮮烈な映像を目にしたのと同日に出逢っていたのだ。不思議なサンクロニシテを感じずにはいられない。「これが途方もなく凄い内容で、思わず総毛立つほど」と書いた印象は四年半経って聴き直して些かも変わらない。
更に余勢を駆ってもう一組、同様のシェルヘン実況録音を聴こう。
"Hermann Scherchen à Paris vol. 1"
ハイドン:
交響曲 第百四番「ロンドン」
ルーセル:
交響曲 第四番
ベートーヴェン:
交響曲 第二番
モーツァルト:
フルートとハープのための協奏曲*
ヘルマン・シェルヘン指揮
フランス放送国立管弦楽団
フルート/ロジェ・ブールダン
ハープ/リリー・ラスキーヌ
シャンゼリゼ劇場管弦楽団(≒フランス放送国立管弦楽団)*
1953年10月29日、パリ(実況)
1953年10月28日、パリ(Dicretet Thomson スタジオ録音)
Tahra TAH 526/27 (2004)
ハイドン、ルーセル、ベートーヴェンからなる一夜のプログラム編成がなんとも圧巻だ。シェルヘンが自家薬籠中としたハイドン、ベートーヴェンの交響曲の古典的成果に、フランスから同じ志向性をもつルーセルの第四交響曲を対置した取りあわせの妙に唸る。凄まじく気合いの入った演奏はミュンシュも顔負け。そもそもシェルヘンの指揮するルーセルはこの演奏でしか聴けないから値千金なのである。
これはフランス国営放送のアナウンス入りの由緒正しい正真正銘の実況録音なのだが、何故か拍手も会場ノイズも全く聴かれないので、収録場所も不明(本番の演奏会ならばおそらくシャンゼリゼ劇場なのだが)。
もしかしてリハーサルか放送スタジオでの録音かも知れない。さらに不思議なのは同じシェルヘン来訪時にディクルテ・トンソン社がセッションを組んだモーツァルト録音(ほかにジュピター交響曲なども収録)が前日になされている事実。
翌日の演奏会とまるで無関係の録音セッションが組まれては指揮者・オーケストラともども大迷惑ではなかったか。あるいは「シャンゼリゼ劇場管弦楽団」を名乗るオーケストラ(通常は放送国立管弦楽団の変名とされる)は、翌日の演奏会とは別の団体だったのだろうか。謎は深まるばかりである。