忘れないうちに書き留めておこう。余りに素晴らしい一日だったから。
現代ロシアを代表するアニメーション映画界の偉才
アンドレイ・フルジャノフスキー Андрей Юрьевич Хржановский 監督が来日され、その歓迎会が夕方から銀座の居酒屋で催された。
同世代のユーリー・ノルシュテインと並び立つ巨匠でありながら、フルジャノフスキー監督の名はわが国ではごく少数の熱心な具眼の士の間で噂されるばかり。かくいう小生にしても、初期の短篇をいくつか目にしたことがあるだけで、その長いキャリアのほんの一端しか窺い知ることができないでいる。
にもかかわらず今日の会の末席に連なったのは、偏にその驚くべき近作に震撼させられた故である。
《
一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行 Полторы комнаты, или Сентиментальное путешествие на родину》(2008)と題された長篇はフルジャノフスキー監督が七十歳近くなって手がけた初の劇映画であり、その途轍もない美しさと創意工夫に、文字どおり目も眩む思いを禁じ得なかった。昨年六月のことだ(その折のレヴューは
→ここ)。
庶民的な居酒屋の細長い一室には十六人の日本人が参集。井上徹さんら「エイゼンシュテイン・シネクラブ」の面々、古川タクさん以下アニメーション関係者が一堂に会し、東京は初めてだというフルジャノフスキー監督ご夫妻を迎えた。
監督はまず、松尾芭蕉と俳句への現今のロシア人の傾倒ぶり(教えている映画大学の学生にも俳句を題材にするものが少なくないとか)や、若い頃にアルカージー・ストルガツキー訳による芥川龍之介の「河童」に触発されアニメーション制作に向かった経緯など、日本文化との浅からぬ因縁をまず物語る。黒澤明の映画、とりわけ《どですかでん》(このままの題名を口にされた)への愛着をも披瀝した。その語り口はあくまでも穏やかで、柔和な微笑を絶やさない。白い髪と口髭がよくお似合いだ。
一同で乾杯のあと、参加者めいめいが簡単に自己紹介し、併せて監督にひとつずつ質問を投げかけるという次第と相成った。ど、どうしよう、こ、言葉が…と不安になっていたら、心強いことに「私がヴォランティアで通訳を引き受ける」と児島宏子さんが名乗りを上げた。なんともはや忝いことだ。
やがて順番が回ってきたので、勇を鼓して「プロコフィエフとショスタコーヴィチに強い関心を抱いている者です」と前置きし、「でも今日は監督の近作《一部屋半》に魅了された一ファンとして参加しました」と正直に自己紹介した。そして監督に質問する。「ずっとアニメ作家だった監督が初めて生身の俳優を使って、どうしてあのような素晴らしい演出が可能だったのでしょうか?」と。
すると監督は事もなげに、思いもよらぬ返答を口にされた。
「
映画大学で私はクレショフの教えを受けたんだよ」と。「ええっ、クレショフですって!」そう絶句すると監督は二コリと微笑んで「そう、クレショフは常々こう語っていた。最良の映画とはアニメーションか、ドキュメンタリーのどちらかだ、とね」。
ひょんな契機からアニメに手を染めた若き日の監督をクレショフは励ましてくれたそうな。なるほど納得である。クレショフの弟子だったら、演出術に長けていても当然だよなあ。「でも役者たちはアニメのようには思いどおり演じてくれなかったのでは?」と更に問い糺すと、「《一部屋半》に出演してくれた役者(=ブロツキーの両親に扮した老優ふたり)はロシアでは国宝的な俳優たちなんだよ」と懇切に説明して下さった。そうだったのか、あのチェーホフ劇の登場人物さながらの飄然たる佇まいはそこに由来するのか、とつくづく合点がいった。
(まだ書きかけ)