篠つく驟雨が降りしきるなか上京。肩掛袋にぎっしり詰めた大荷物が濡れないよう用心しながら歩く。
約束の一時半きっかりに御茶ノ水駅頭で福島県立美術館の荒木康子さんと落ち合い、足早に近くの珈琲屋へ駆け込む。
ベン・シャーンがデザインしたLPアルバムの数々を引き渡すのが面会の目的だ。年末から始まるという展覧会に出品を依頼され、手放すのを思い留まったレコード群である。数あるベン・シャーンの商業デザイン中の白眉というべきそれらのアルバム・カヴァー(英語ではジャケットと云わない)については拙著『12インチのギャラリー』でもいくつか採り上げたことがあった。
荒木さんとお目にかかるのは1998年の秋以来だろう。そのときも福島での独自企画「ベン・シャーンのグラフィック・ワーク」にLP数点を貸し出した。小規模ながら味わい深い展示だったと記憶するが、カタログが制作されなかったのが心残りだった。今回は葉山を皮切りに全国四会場を巡る大きな回顧展だそうで(概略は
→ここ)、立派なカタログも刊行される由。微力ながらその一郭を担えて光栄である。
それにしても今この状況下でベン・シャーンとはなんと時宜に叶った企てだろうか。
三年前の記事(
→ここ)でもちょっと触れたが、ベン・シャーンはつくづく凄い人物である。その真摯でまっとうな生き方は困難な時代を生きる人間にとっての鑑なのだ。あえて拙文の一節だけ繰り返すなら、
リトアニア生まれながらアメリカの民衆文化に根ざした画家として、一貫して弱者と視線を共有しようとしたベン・シャーン。冤罪の可能性が高い「サッコ=ヴァンゼッティ事件」を告発した作品で知られるが、彼は南太平洋で米国の水爆実験が引き起こした「第五福竜丸被爆」を題材にした作品群も残している。「ラッキー・ドラゴン」シリーズがそれだ。赤狩りの時代にあって、ひとりのアメリカ人が自国の犯罪を作品化するのにどれほどの勇気を要したか。彼は筋金入りの反権力の芸術家だったのだ。
その「
ラッキー・ドラゴン」連作の一枚がほかならぬ福島県立美術館に所蔵されているのは何という奇しき偶然だろう。これこそ天の配剤なのではないか。