出かけようとする家人に尋ねると午前中は新宿で英会話、夕方から日本橋で舞踊公演に赴くとのこと。午後の空いた時間をどうして過ごすか思案中だという。それならばと京橋のブリヂストン美術館で開催中の「
青木繁展」を推奨する。とはいえ薦める当人が未見では埒があかないので、三時に待ち合わせ一緒に観ることになる。
地上の酷暑を避けて東京駅からずっと地下道を歩く。中央通りの交叉点で地上に出ると猛烈な熱気に襲われる。やはり都心の暑さは尋常ではない。小走りに美術館へ駆け込むと、家人は既にロビーで涼んでいた。噴き出す汗を拭い、紙コップで冷水を飲んだら気を取り直して二階の展示室へ。
青木繁を纏めて観るのは、生誕九十年の1972年の回顧展(ブリヂストン美術館)、1983年の「青木繁 明治浪漫主義とイギリス」(同上)、2003年の「青木繁と近代日本のロマンティシズム」(東京国立近代美術館)に続いて四度目だと思う。
大概の作品はつぶさに実見しているので、今回はささっと通過するつもりだったが、『
黄泉比良坂』『
海の幸』『
天平時代』『
わだつみのいろこの宮』など代表作の前では流石にしばし佇む。恋人の福田たねを描いた『
女の顔』を久し振りに眺めてぞくっとする。いつ観てもこれは凄い絵だ。旧約聖書の挿絵として描いた油彩画全八点がずらり並ぶのも壮観だし、親友だった梅野満雄が旧蔵した素描・水彩類も、これだけ数多く観られるのは蓋し眼福というべきだ。
とまあ、申し分のない展観なのだが、長からぬ青木の画歴の後半は失速し、霊感も全く失せて見るも無慙な凋落というほかない。ここまで惨めな天才の末路もちょっと類がなかろう。絶筆とされる『朝日』なぞは風呂屋のペンキ絵さながらの凡庸な海景でしかなく、上に名を挙げた諸作と同筆とはとても思えない。『海の幸』の醜悪な再制作というべき『漁夫晩帰』が不出品なのが勿怪の幸いである。
会場にはそれでも一時間半ほどいただろうか。外へ出ると茹だるような暑さ。すぐに交叉点を渡って珈琲屋へ逃げ込んで涼をとる。ここで小一時間ほど過ごし、そろそろ舞踊公演だという家人と別れて銀座線で新橋へ。地上へ出て駅前広場の電光掲示を見たら、夕方六時だというのに気温が「三十五度」。まさに灼熱地獄だ。それから所用を済ませて十時に駅前に戻ると掲示はまだ「三十二度」。言葉を失う。