先だってユネスコの世界遺産に新たに二十五件が加わった。そのなかに平泉(文化遺産)と小笠原諸島(自然遺産)が含まれていたものだから、わが国でも新聞やTVで大きく報じられたのだが、フランスからは「
コースとセヴェンヌ地方の地中海農業や牧畜の文化的景観」が選ばれたことが、記事の片隅にほんのついでという扱いで小さく付記されていた。
フランス南西部のこの一帯は主として石灰質のカルスト台地からなる広大な高原で標高は千メートル近く、古くから羊の放牧やチーズの生産で知られる。単に風光明媚な地というだけでなく、牧羊文化の伝統が保たれているが故に「文化遺産」として登録された由。
フランス音楽好きならここで「ほう!」と声を挙げるであろう。セヴェンヌ地方と云えば誰もが聞き覚えがあるからだ。だが実際に足を運んだ者は少なかろう。羊の群れが長閑に草を食み、爽やかな高原の涼風が吹き過ぎる風景が脳裏に浮かぶ。少なくとも小生の貧しい想念のなかのセヴェンヌ地方はそんな眺めである。
"French Music for Piano & Orchestra"
フランク: 交響変奏曲
フォーレ: バラード
ダンディ: フランスの山人の歌による交響曲
ピアノ/フランソワ=ジョエル・ティオリエ
アントニオ・デ・アルメイダ指揮
アイルランド国立交響楽団
1993年5月10、11日、ダブリン、国立楽堂
Naxos 8.550754 (1994)
この三曲目の曲こそがセヴェンヌ地方ゆかりの音楽なのである。ちょっと手抜きさせていただき、四年前の記事から引くと、
「フランスの山人(やまびと)の歌による交響曲」とはちょっと変わった曲名だが、原題は Symphonie sur un chant montagnard français という。「山人」つまり山の民とは、作曲者ヴァンサン・ダンディの祖父の出身地、南仏セヴェンヌ地方に住む人々を指す。別名を「セヴェンヌ交響曲 Symphonie cévenole」というのも同様の意味だ。ダンディは十三歳のとき初めてここを訪れて、すっかり心を奪われてしまった。それからというもの、ほぼ毎年のように滞在している。
この曲の冒頭でイングリッシュ・ホルンが奏するのどかな旋律が、そのセヴェンヌの「山人の歌」。彼はこれを羊飼が唄うのを実際に聴いたのだという。周知のとおり、彼は恩師セザール・フランクから循環形式を忠実に受け継いでおり、曲頭の主題はそのあとさまざまに変形されつつ、あちこちに姿を現しながら全曲を統一する。ちょっと安易な手法ではあるのだが、これこそが当時のフランク一派の間では規範とされた構成法なのである。
作曲は1886年。セヴェンヌで過ごした一夏ですんなり完成したという。たしかに、聴いてみても難渋した形跡はどこにもない。
前にもそう記したように、この曲に纏わる思い出は恐ろしく古めかしい。まだクラシカル音楽を聴き出して間もない1968年、N響定期でジャン・フルネが指揮し井上二葉がピアノを弾いた実況を何度も視聴して、「交響曲」とは看板に偽りのこのピアノ協奏曲が大好きになった。
レコードでは古くはマルグリット・ロン、ジャン・ドワイヤン、ロベール・カサドシュらフランス勢が独奏を務めていた。そういえばドワイヤンの盤ではジャン・フルネが指揮していた。ただしこれは録音がまるで冴えないので、どうにもお奨めできない。
小生はLP時代、ずっとシャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団のステレオ盤で愛聴してきた。ピアノは彼の親戚筋にあたるニコール・アンリオ=シュヴァイツァー(シュヴェツェール?)が受け持っていた。いささか小ぢんまりした独奏だが、まあ悪くはない。それより何より、ミュンシュの豪放磊落な指揮がこの曲の率直純朴な味わいにびったりで、これ以上の演奏はちょっと望めないと思った。
今回あちこち棚を捜したが、どうしてもこのミュンシュ/アンリオ盤のCDが見つからないので、クリュイタンス/チッコリーニ盤(1953)、セルジュ・ボド/チッコリーニ盤(1975)、マレク・ヤノフスキ/カトリーヌ・コラール盤(1991)を続けざまに聴いたが、どれもこれも満足できない。
このほかデュトワ/ジャン=イヴ・ティボーデ盤が素晴らしいと噂に聞くが、生憎これも架蔵していない。そこで次善の策として持ち出したのが上に掲げたナクソスの廉価盤。だが安いからと侮ることなかれ。これは胸のすくような名演なのである。のびのびと屈託なく、壮麗な輝きにも不足しない。
フランソワ=ジョエル・ティオリエは同じナクソスからドビュッシーとラヴェルのピアノ曲全集が出ているが、むしろこのフランス近代ピアノ協奏曲選こそが代表的名演かも知れない。フランクもフォーレも悪くないが、なんといってもダンディが最も資質に合うらしく、水を得た魚のように闊達で瑞々しいピアノを聴かせる。
(まだ聴きかけ)