友へ、
モントゥーは、ここテル・アヴィヴにあるダン・ホテルの、美しい私たちの部屋のバルコニーに坐っており、その顔は待ち望んでいた太陽の光が部屋いっぱいにさすように、はかり知れぬ喜びを反映しています。下方の海は、長く白い羽毛のようになって防波堤に押しよせ、波が岸に届く度にのどかな、深い単調さで歌っています。モントゥーは両眼を閉ざし、あたかも約束の土地へ着いたとでも感じているようでした。
~ドリス・モントゥー著 家里和夫訳 『指揮棒と80年 ピエール・モントゥーの回想』
ピエール・モントゥーは老いてもなお頗る壮健で、八十六歳でロンドン交響楽団の常任指揮者に就任する際には二十五年契約(!)を取り交わし、八十八歳のときには同団を率いて初来日も果たしている。生涯現役を貫いて隠居生活とは無縁だったモントゥーには、自伝や回顧録を残す暇はなかった。その代わり傍らにいつも連れ添っていたドリス夫人が夫との会話をこまごまと書き留め、それをまとめて歿後に出版したのが『
指揮棒と80年』(原題は "It’s All in the Music")である。本の各章は夫人から友人に宛てた手紙によって導かれるという構成をとる。上に引いたのは終盤近い章の冒頭の一節。
スペインからフランスに来た古いユダヤ人の血筋を引くピエール・モントゥーは、表立ったシオニストではなかったものの、イスラエル建国には並々ならぬ関心と共感を寄せていたとおぼしい。1964年3月、八十九歳の誕生日を目前に控えたモントゥーはテル=アヴィヴを訪れ、同地のイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮している。長い生涯でこれが最初で最後の機会となった。
このたび千載一遇の機会を捉えた実況録音が残されていた事実が判明した。
"The IPO Heritage Series: Pierre Monteux"
ベートーヴェン:
交響曲 第四番
エルガー:
「謎」の変奏曲
ラヴェル:
バレエ組曲『ダフニスとクロエ』第二番
ピエール・モントゥー指揮
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
1964年3月7日、テル=アヴィヴ、マン会堂(実況)
Helicon 02-9641 (2011)
いずれもモントゥーが自家薬籠中の楽曲として久しい演目である。ベートーヴェンの「第四」は「田園」に次ぐ愛奏曲だったらしく、この実演直前の1964年2月にはハンブルクで北ドイツ放送交響楽団と「第二」ととも)スタジオ録音したばかり。エルガーの「エニグマ」もロンドン交響楽団の音楽監督就任の遙か以前からレパートリーに加えていた。『ダフニス』は云うまでもなくバレエ・リュス専属指揮者として若き日の彼がピットで世界初演(1912)したバレエである。ただし彼は実演でも合唱入りオリジナル全曲版を専らを取り上げたらしいから、第二組曲の録音は珍しい。
例によって無理や力みの全くない自然な音楽展開にモントゥーの真骨頂をみる思いがする。イスラエル・フィルの力量はまあ並の上といったところだが、弦楽が優秀なのでとりわけ「謎」に聴かせどころがたっぷり。感に堪えないような音楽が溢れ出す。『ダフニス』も気力充実、若やいだ躍動があって、とても八十九歳直前の指揮とは思えない。まして四箇月後に死んでしまうとはとても信じ難い。
モントゥーはこのあとローマとミラノで放送局のオーケストラを指揮し、その間の4月4日にアッシジで八十九歳の誕生日を迎えた。
当日の彼は静かに微笑しながら「
九十歳の誕生日まで、私の美しい音楽と一緒にもう一年だけ私に与えてくれるよう神さまにお願いしたんだ」とドリス夫人に述懐したそうだ。
モントゥーの生前最後の演奏記録は1964年4月12日。ミラノのRAI放送局のオーケストラを振ったワーグナー『さまよえるオランダ人』序曲、ブラームスの二重協奏曲(独奏/グリュミオー、ヤニグロ)、プロコフィエフ「古典交響曲」、ベルリオーズ「幻想交響曲」という充実の一夜だった。ブラームスだけはCDで聴ける。