東京オリンピックがあつた一九六四年、埼玉の片田舎で小學六年になつた小生は、トランジスタ・ラヂオから流れて來る落語や音樂に獨り耳を傾けるのを密かな愉しみにしてゐた。周囲に親しい遊び仲間は誰もゐなかつたから家で聽くラヂオ番組だけが心通わす良き友だつたのである。孤獨だつたが寂しくはなかつた。
落語は子供には難しかつたのか直きに飽きてしまつたが、音樂はそれから半世紀近くずつと無上の友達であり續けてゐる。これこそ我が人生の至寶だ。但し好みの音樂は時に應じてさまざまに變遷してゐつた。
最初の數年間は專ら歐米のポップスに熱を上げた。歌詞の意味も全く判らぬまゝに異國の歌手たちの聲や耳新しい演奏にすつかり魅せられてゐた。各局の洋樂番組を欠かさず聽き、曲目を委細漏らさず記録した(後年そのノートをきつぱり燒き捨てたのは返す返すも悔まれる)。
文化放送の老舗番組
ユア・ヒット・パレード、同じく文化放送で小島正雄が出演した
9500万人のポピュラーリクエスト、ニッポン放送では高崎一郎がディスクジョッキーだつた
ベスト・ヒット・パレード、誰が司會だつたか忘れてしまつたがNHK第二放送の
ミュージック・コーナー等の番組を毎週のやうに聽いては詳細なメモを取つてゐた。いづれの番組も本場のビルボード誌やキャッシュボックス誌のヒットチャートとは一線を劃し、聽取者からのリクエスト葉書を集計して獨自のベスト・テンを發表してゐたのである。思へばポップス文化華やかなりし時代である。
とりわけ懷かしく思ひ出されるのはTBSラジオで確か毎週金曜日の夜九時からやつてゐた
東芝ヒットパレードと云ふ番組である。
その名の通り東芝レコード(東芝音樂工業)の音源のみを使つて毎週のベストテンを構成し發表する、云つてみれば手前味噌の番組なのであるが、幼い小生はその邊りには頓着せず無邪氣に聽いてゐた。
レコード會社の「紐附き」宣傳番組は他にもビクターの
S盤アワー、コロムビアの
L盤アワー、ポリドールの
P盤アワー、キングの
魅惑のリズム等があつたらしい。
思ふに
東芝ヒットパレードが違和感なく樂しめた背景には、このレコード會社の洋樂部門の目を瞠るやうな大躍進があつたと推察される。
「1960年代の外国のヒット曲の部屋」と云ふ重寶な勞作サイト(
→ここ)から試みに一九六五年(小生は中學一年)の時點で
東芝ヒットパレードで第一位になつた十九曲を順不同で引かせて頂かう。
ビートルズ/マッチ・ボックス
ビートルズ/のっぽのサリー
ビートルズ/アイ・フィール・ファイン
ビートルズ/ロックン・ロール・ミュージック
ビートルズ/ノー・リプライ
ビートルズ/ミスター・ムーンライト
ビートルズ/涙の乗車券
ビートルズ/ヘルプ
ビートルズ/ディジー・ミス・リジー
ビートルズ/恋のアドバイス
ビートルズ/イエスタデイ
ベンチャーズ/10番街の殺人
ベンチャーズ/キャラバン
ベンチャーズ/クルーエル・シー
アニマルズ/朝日のあたる家
デイヴ・クラーク・ファイヴ/若さをつかもう
クリフ・リチャード/ダイナマイト
クリフ・リチャード/ぼくのエンジェル
デル・シャノン/太陽を探せ
これを(レコード會社の紐附きでない)文化放送の
9500万人のポピュラーリクエストの年間上位曲集計と較べてみると、
01. ビートルズ/ヘルプ*
02. ビートルズ/ロックン・ロール・ミュージック*
03. クリフ・リチャード/ダイナマイト*
04. フランス・ギャル/夢みるシャンソン人形
05. ビートルズ/涙の乗車券*
06. ベンチャーズ/10番街の殺人*
07. デル・シャノン/太陽を探せ*
08. クリフ・リチャード/オン・ザ・ビーチ
09. ジョニー・ティロットソン/涙くんさようなら
10. ベンチャーズ/キャラバン*
11. ベンチャーズ/ダイアモンド・ヘッド
12. ビーチ・ボーイズ/ヘルプ・ミー・ロンダ
13. アロウズ/アパッチ65
14. アニマルズ/悲しき願い
14. クリフ・リチャード/ぼくのエンジェル*
16. ベンチャーズ/クルーエル・シー*
17.ビートルズ/イエスタデイ*
18. ビートルズ/のっぽのサリー*
19. ビートルズ/ミスター・ムーンライト*
20. ビートルズ/アイ・フィール・ファイン*
21. ビートルズ/エイト・デイズ・ア・ウィーク
二十一曲中の十三曲(*印)、十位迄ならその内の實に七曲が
東芝ヒットパレードの最上位曲集計と共通してゐる。正しく東芝レコードの獨り勝ちなのである。何ともはや驚くべき事だ。
田舎のポップス少年にはよく呑み込めなかつたが、當時は所謂ブリティッシュ・インヴェイジョン、卽ち英國音樂の米國席捲の真つ只中にあり、ビートルズ、ローリング・ストーンズ以下の英國バンド人氣が鰻上りに急上昇中だつた。デッカ社に所属するストーンズを除けば、ビートルズ以下の大半の英國バンド(アニマルズ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、ホリーズ、ハーマンズ・ハーミッツ、ピーターとゴードン等)はEMI社の所屬だつたから、その發賣元たる東芝レコードは英國音樂の日本制覇の云はば總代理店となつたのである。自社音源のみから成る
東芝ヒットパレードのベストテンに殆ど片寄りや宣傳臭がなかつたのは、ざつとそのやうな事情に據る。
活きの良い英國バンドのヒット曲が澤山かゝるという以外にも、
東芝ヒットパレードは愉しみな利點があつた。それは進行役の語りの卓越である。
前田武彦と
木元教子とが組んだ當意卽妙な司會ぶりはさながら掛け合ひ漫才のやうで、その融通無碍でノンシャランな會話の妙はラヂオのこちら側を大いに刺戟した。
もつとも前田も木元も音樂に關してはズブの素人で、智識や識見の點で小島正雄、高崎一郎、糸居五郎と云つた斯界の專門家達とはまるで比較にならなかつたが、肩肘張らない話術の巧みさ、面白さでは斷然一頭地を抜いてゐたやうに覺へてゐる。駄洒落や輕口(ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」が初登場した回で、前田は「これは苺ッ原よ永遠に、と云ふ曲」と紹介した)を交へた氣樂な會話の愉しさを子供心に初めて垣間見た氣がした。今からもう半世紀近く前の事だ。小生の洋樂事始と云へるだらう。
前田武彦さんの訃報に接して走馬燈のやうに浮かんだ一連の儚い記憶である。