梅雨の只中だといふのに朝起きると雲間から青空が覗いてゐる。所用で出向く途中の車窓から眺めると、雲ひとつない夏空である。暑さも半端ではない。
歸宅は夕刻になつた。先ずシャワーで汗を洗ひ流す。夕食後ちよつと休憩してゐると家人が面白いTVがあると云ふ。
内田百閒とその飼ひ猫
ノラに就ての番組なのだそうだ。藝術家と猫との深い結びつきを追つた連續物の第二囘目。
(口上)
NHK・BSプレミアム
午後8:00~9:00
おまえなしでは生きていけない~猫を愛した芸術家の物語
~「第2回 内田百閒 ノラを探した14年の孤独」
猫を愛した芸術家は数多い。創作の日々の中で、猫は支えとなり、その存在なしでは生まれなかった作品もある。芸術家と愛猫の絆を描く映像評伝の第2回は、作家・内田百閒。60歳を過ぎた頃、ひょんなことから猫ノラを飼い始めるが、間もなくして失踪。以来、泣き暮らし、仕事が手に付かず、捜索に手を尽くす日々が始まる。百閒がこの顛末を書いた名作「ノラや」の世界を再現する。
これは懐かしい。内田百閒の一連の愛猫随筆は中公文庫版『ノラや』に纏められ廣く讀まれてゐる。小生も昔これで讀んで心震はせ、やがて元來の單行本『
ノラや』とその後日談『
クルよお前か』の初版本迄も手に入れて愛讀した。
小鳥飼ひが永年の趣味だつた百閒は絶へて猫なぞ飼つた験しが無かつた。その六十翁が偶々自宅に迷ひ込んだ雑種の野良猫に心奪はれ、その突然の失踪に周章狼狽し意氣消沈する樣は、周囲の者を大いに驚かせた。その一部始終は『ノラや』として纏められた随筆集に、それこそ手に取るやうに詳述されてゐて、世の猫好きはこの一冊を涙無くして讀み通すことは出來ない。
『ノラや』に限らず百鬼園随筆のあれこれを讀み漁つた者は何時の間にか百閒先生の頑固一徹や可笑しな屁理屈、質素な暮らし振りに知悉してしまひ、さも昵懇の間柄であるかの如き錯覚に陥る。
當番組もさうした口喧しい愛讀者が尠からず視聽してゐるだらうが、再現劇の部分の出来映へはなかなか上出來で、丁寧に目配りの利いた演出が心憎い。戸口に掲げられた「日没閉門」や「面會謝絶」の貼紙やら、來訪した編輯者を招じ入れず玄関で應對する樣子など、細部が實にそれらしく描かれ感心させられる。但し、手狭だつた筈の自宅が思ひのほか廣々と立派に設へられてゐるのに聊か違和感を憶へた。まあそれは瑕瑾と云ふ可きだらうか。
(まだ書きかけ)