昨夜ふとTVを点けると尾高忠明がエルガーの第三交響曲を振る姿が大写しになった。しかもその終楽章である。
作曲家の死により未完に終わった最後のシンフォニーは歿後六十年以上も経ってから
アンソニー・ペインの補筆によって演奏可能な形となった。
断片的なスケッチから首尾一貫した大作に仕上げるのは並大抵の労苦でなく、しかもその完成度や信憑性について遠慮会釈のない批判に晒される。補筆完成者とはなんとも割の合わない損な役回りなのである。この交響曲の場合も例外ではなく、わけてもフィナーレは冒頭の僅かなスケッチしか遺されておらず、大部分はエルガーの既存楽曲に基づくペインの「創作」だったから、「
いくらなんでもこりゃないだろう」「
エルガーならこうは終わらせまい」など失望と非難の声が集中したのである。
その曰くつきの終楽章を尾高さんは並々ならぬ敬意と愛着をもって指揮していた。名演といってよかろう。その真摯な姿になんだか胸が一杯になってしまい、常々この交響曲の出来に疑念を抱いてきた小生すらが「
これこそ正真正銘エルガーの遺言なのかもしれない」という感慨を否応なしに抱かされた。
そこで改めてディスクで聴いてみよう。この「新作」の史上初の録音。
エドワード・エルガー(アンソニー・ペイン補筆完成):
交響曲 第三番
アンドルー・デイヴィス指揮
BBC交響楽団
1997年10月15~17日、ロンドン、メイダ・ヴェイル、BBC第一スタジオ
NMC Recordings NMC D053 (1998)
全曲を通して聴くのはこのCDを新譜で手にして以来か。草稿がかなり残されている部分にはエルガーにしか書けない妙なる楽想が紛れもない。とりわけ第一楽章。ペインの補筆はたいそう丁寧にエルガーのオーケストレーションの流儀をなぞっているので、それなりに充実した聴取体験が味わえる。
第二楽章では旧知の旋律が聴こえてドキッとする。劇付随音楽『アーサー王』の一部なのだという。これはペインの「後知恵」ではなく、エルガー自身の発案なのだそうだ。およそスケルツォらしからぬ、たゆたうようなスケルツォ。
荘重なファンファーレで始まる終楽章は実はここだけがエルガーの総譜スケッチ。残りはペインによるパッチワークなのでなんだか展開が並列的で有機的な纏まりを欠くことは事実なのだが、初演者アンドルー・デイヴィスは共感を籠めて誠実に指揮しているので、それなりの感銘を禁じ得ない。
このCDには姉妹盤があって(NMC D052)そちらではエルガーの断片的なスケッチすべてをアンソニー・ペインの解説付きで聴くことができる(演奏はピアノ、もしくはヴァイオリン&ピアノ)。これを併せて耳にすればペインの補筆作業のなんたるかが自ずと了解されよう。ペイン版が("completed by" でも "arranged by" でもなく) "elaborated by" と必ず註記される所以はここにある。"labour of love" とは全くもってこのことだ。