アレクサンドル・ベヌアの大判絵本『絵入りアーズブカ Азбука в картинахъ』の覆刻版が小包で届いた。今年モスクワで出たというが迂闊にも知らずにいた。
「
アーズブカ」とはロシア語のアルファベット。それぞれの文字に因んだ絵柄を「芸術世界」派の領袖ベヌアが手の込んだ多色石版画に仕立て、印刷をペテルブルグの帝室造幣局が担当した。刊行は1904年。まさに贅を尽くした一冊というほかなく、発売当時から庶民には手の届かぬ高嶺の花だったらしいが、百年を経た今や稀覯本として法外な値がつく。覆刻本の刊行が大いに歓迎される所以である。
念のためキリル文字のアルファベットを列挙しておこうか。
1. А а 2. Б б 3. В в 4. Г г 5. Д д
6. Е е 7. Ё ё 8. Ж ж 9. З з 10. И и
11. Й й 12. К к 13. Л л 14. М м 15. Н н
16. О о 17. П п 18. Р р 19. С с 20. Т т
21. У у 22. Ф ф 23. Х х 24. Ц ц 25. Ч ч
26. Ш ш 27. Щ щ 28. Ъ ъ(硬音記号) 29. Ы ы 30. Ь ь(軟音記号)
31. Э э 32. Ю ю 33. Я я この本の出た帝政末期のアーズブカは、1918年のキリル文字改革以前の正書法に則っており、現行とは少し異同がある。ベヌアは「Ё」を割愛し、「И」と「Й 」の間に「І」という文字を掲げ、「Ь」の代わりに「Ѣ」を挙げている(実は最終頁に「Ө」と「V」の二文字も登場するのだが、今回の覆刻版では何故か頁ごと省かれている)。
最初の「А」はいきなりこの絵(
→これ)。"Арапъ" つまり「黒人」。どうです、バレエ『ペトルーシュカ』のムーア人の子供版みたいで可愛いでしょ?
続く「Б」もロシア好きにはたまらない(
→これ)。勿論これは森に住み箒に乗って滑空する妖婆 "Баба-Яга" である。
「И」は "Игрушки"──玩具である(
→これ)。各国の豪華な人形が所狭しと並ぶなか、左手前に素朴な木彫りのロシア民芸がさり気なく配されるのが床しい。
こんな絵柄もある(
→これ)。「Т」即ち "Театръ" である。劇場人ベヌアの面目躍如といったところ。どうやらコメディア・デラルテもののバレエを上演中であるらしい。
こんな調子で紹介しているとキリがないのだが、最後に表紙絵を(
→これ)。
この小さな画像では見辛いだろうが、中央の標題と作者名を囲むように大勢の人々が犇めき合っている。
よく見ると下半分は地上界で、この絵本の登場人物が勢揃いして挨拶している。左右に幕が開いているのは舞台のカーテンコールに準えているのであろう。いかにも劇場人ベヌアらしい工夫である。
上半分は天上界。中央に大きなクリスマス・ツリー(ロシアなので「ヨールカ ёлка」と云うべきか)が飾られ、その周囲には天使たちが手に手に絵本を掲げているのがおわかりだろうか。じっと目を凝らすと、水色の衣を着て左方に立つ天使が手に持つ絵本はほかでもない、この『絵入りアーズブカ』そのもの。その右上で飛翔する天使が捧げるのは、どうやら数年前に出たビリービンの民話絵本シリーズであるらしい。更に観察すると、ほかにもヴィルヘルム・ブッシュの絵本だの、ハインリヒ・ホフマンの『もじゃもじゃペーター(ぼうぼうあたま)』とおぼしき絵本も見える。出たばかりの自作をそれら古典的な傑作絵本と等し並みに天上に「列聖」してしまうとは、ベヌアの自信のほどもなかなか大したものではないか。