たまたま目にした昨日の「毎日新聞」千葉版に興味深い記事が載っていた。「またまた 房総文学散歩──描かれた作品と風土」という、千葉を舞台とした文学作品を追った連載、その第六回目に
石井桃子の小説が採り上げられている。
彼女は創作童話『ノンちゃん雲に乗る』や、『くまのプーさん』や「ピータ―・ラビット」シリーズなどの翻訳で戦後の児童文学界を導き、晩年には芸術院会員に選ばれ、「朝日賞」も授かっている。三年前に百一歳の長壽を全うした。
題して「石井桃子と勝浦」。執筆は渡辺洋子という記者。
そんな児童文学者が80歳で突然、初めて大人向けの小説を書き始める。87歳で書き上げた大長編「幻の朱(あか)い実」(1994年 岩波書店刊)。20代の2人の女性「明子」と「蕗子(ふきこ)」の交流を淡々と描いている。
この中に、勝浦周辺の海が出てくる。
「最初に渡された原稿は2000枚。これを胃が痛くなる思いで1600枚に削った」。作品を担当した元岩波書店編集者の山田馨さんは振り返る。石井は若くころ文芸春秋の編集者だった。山田さんによると、蕗子は若くして病死した同僚の女性編集者がモデルだという。「才気煥発(さいきかんぱつ)だった先輩の人柄と才能を知ってほしいと、石井さんは60年間心の中で温めてきたのは確かです」。一方、明子は石井自身のようにも読める。この『幻の朱い実』については、拙ブログでもかなり詳しく探索したことがある。
→「幻の朱い実」をどう読むか→「幻の朱い実」をどう読むか(2)→「幻の朱い実」をどう読むか(3)→「幻の朱い実」をどう読むか(4)→「幻の朱い実」をどう読むか(5)→「幻の朱い実」をどう読むか(6)→「幻の朱い実」をどう読むか(7)主人公の大親友で早世した「蕗子」のモデル、
小里文子の存在はきわめて重要である。なにしろ『くまのプーさん』は病床にある小里の無聊を慰めるべく、その目的だけで翻訳されたのだから。しかも小里の歿後、石井は荻窪にあった小里の家屋敷(もともと菊池寛が斡旋した物件という)を引き継ぎ、終生そこで暮らし続けた。
石井桃子が晩年いきなり自伝的な小説に手を染めた理由は明らかである。彼女の生涯を決定づけた小里という唯一無二の女性について書き遺さずにはいられなかったのだ。にもかかわらず、この小説には隔靴掻痒のもどかしさが付き纏う。引用される蕗子の手紙(恐らく小里の手紙その儘を引用)から察しられる主人公とのこまやかな交情と両者の強い絆が、物語のなかでは手応えのある具体的な関係としては語られず、核心部分は常に暈かされ、ぼんやり紗のかかったような描写に終始している。八十媼の書いた少女趣味小説、ハーレクイン・ロマンスの域を出ないのだ。
記事でも引かれる次の一節は恐らくこの小説の核心部分だろう。
蕗子を知ってから三年と約三か月 […]
心から親しめる者としては、蕗子ひとりだった。[…]
蕗子と別れるときが来たら、そして、何者かが、ただひと言、あの世へみやげに持たしてやるといったら、「愛している」という、日本語としてはなじめない言葉をいうしかないと思っていた。そう、まさにその「愛している」という感情の実相に沿って、のっぴきならない両者の切実な関係性をこそ客体化すべきだったのに、同性間の恋愛を露わに描くことへの躊躇から、すべては朧げなヴェールに包まれた仄かな追想へと溶け込んでしまう。もし彼女にそうする覚悟さえあれば、明子と蕗子、すなわち石井桃子と小里文子の交友記録は、中條百合子と湯浅芳子のそれに比すべき眩い光芒を文学史に放つことになったろうにと惜しまれる。結局それを石井は望まなかったということか。
前半、出会って間もない明子と蕗子が「イワシが豊漁」という新聞記事に興味を引かれるエピソードがある。「写真の場所は勝浦と御宿の間の小さな漁港であることを突きとめた」。そして実際に房総へ行く。「両国で煤(すす)けた汽車に乗りかえた。二人とも初めての房総線は、海につき出ている県という印象に反して驚くほど内陸的な、山あり、トンネルあり […]」。当時、すなわち1930年代初頭には両国駅が房総方面への発着駅だったことがわかる。石井と小里がここから乗車した列車は「内陸的な、山あり、トンネルあり」というのだから間違いなく外房線(当時の呼称では房総線)であろう。今だったら千葉で乗り換えて安房鴨川行きで行くところだ。それにしてもふたりが新聞の写真で見たという「勝浦と御宿の間の小さな漁港」とはどこなのか。
「写真の場所」はどこか。
作中「宇原」と出てくるが、実際は「鵜原」(勝浦市)で位置関係も異なる。山田さんは「私が石井さんに同行して1980年11月に行った部原(へばら)海岸(同市)ではないか」と推測する。そこなら御宿と勝浦の間にある。小生も以前この箇所を読んでいて「宇原」とはてっきり鵜原のことだと早合点していた。渡辺記者は石井の後年のエッセイ「忘れ得ぬ人びと 身辺雑記」からこんな一節まで見つけて傍証として引く。
毎年、夏は、またあのころのようにH原にいって、あの荒っぽい海を見、[…]
磯でタコでもつかまえたいと思うのだけど […]
なるほど、そうなると「宇原」は確かに部原に違いない。
(まだ書きかけ)